短編小説:オレに構わないでくれ(1)- It Could Happen to You(そんなことが本当に起きた)
月曜の朝早くスマホの着信音が鳴った。
何を議題にするか決めるための週の初めの会議にどうしてもやる意味が見出せないウンザリした気持ちを、せめて今日1日いいことはあるかどうか期待してみようと情報番組の占いでも観ている。そして強引に気持ちを奮い立たせようとしていた時のことだった。
「今週は予想外の収入があります。しかし結果的にそのお金はなくなることになるでしょう」と女子アナが占いを読み上げた。この手の占いは当たったためしがないがいい予想であれば悪い気はしない。
「金が入ったら久しぶりに美味いワインでも飲みに行こうかな。ところでテレビの中で無駄に明るい女子アナのスタイリストやメイクさんの力量は一流だな」と感心していた。
「朝早く失礼します。弁護士の矢崎と申します。お忙しいところ申し訳ありません」
スマホの奥から聞こえてきたのは落ちついたトーンの男だった。
こんな平日の朝に電話がかかってくるなんていい知らせであるわけがない。オレは直感的に身構えた。
「弁護士さん?どんなご用件でしょう??」
オレはまだ十分に働いていない頭の中のCPUのスピードを強引に早めて記憶を巡らせてみた。思い当たるのは3年前にちょっとした不注意で自転車事故を起こし、相手と諍いがあったことだ。左折しようと曲がった時、後ろから猛スピードで走ってきた明らかに身体にタトゥが入っていて男の大事な部分に真珠が埋め込まれていそうな感じの男だった。体重90キロはありそうなその男の顔からは正当な教育をうけた跡が全くなく、犯罪ギリギリ、グレーゾーンの仕事で週に一度必ず女を買っているといったような体で、オレの最も毛嫌いするタイプ、思いっきりからかってやりたくなるタイプの男だった。
たまたまその日は2日続いた完徹明け、そして腹も空いていた昼飯時ということもあって極端に機嫌が悪かったのでそいつと激しい喧嘩になった。真珠男はものすごい形相でオレの胸ぐらを掴んできてたちまち乱闘騒ぎになった。
体力的には真珠男の方に分があるのだが、相手が怒って興奮すればするほど、熱くなればなるほど楽しくなる。つまり火に油を注ぎたくなるのがオレの性格で、冷静に服からスマホを取り出しその男の様子を動画に撮った。そして110番したところで真珠男は我に返った。男は暴力を振るった負い目のせいなのかそれとも今は執行猶予中の身なのかそそくさと逃げ出した。オレは電話越しの警察に思い切り聞こえるように「待てオレ!! 逃げるな!!」と大声で叫んだ。
昔の刑事ドラマのようだ。臭い芝居だな。少し盛り過ぎたかな、と思いつつ、その後パトカーで駆けつけた4人の警官と実況見分に入った。
たまたま道を母親と一緒に歩いていた男の子はせっかくファミレスに行ってレジの横にあるおもちゃを買ってもらおうと楽しみにしていたのに、トラウマになりかねないこの光景を目にすることになってしまった。
オレが冷静になったのはその男の子の怯えた目つきのを見てしまったこともあった。
「ごめんよ、ボク。君はまだ小学生かもしれないが他の友人より少しだけ早く大人の世界を垣間見てしまったかもしれない。だけど社会に出るとこんなことは時々目にするんだ。こんな交通事故のようなことに遭遇することがあるんだよ。世の中にはバカな大人、学校でちゃんと勉強してこなかった大人が多いからね。君は一生忘れられないトラウマのようなものを背負ってしまったかもしれないね。でもこう考えたらどうだろう。ぼくだけはぜったいこんな大人にはなりたくない。偶然この光景を見て世の中のバカな部分を見てむしろちゃんとした大人になる道を同級生より早めたんだと。つまりこんな大人には絶対にならないようにしっかりと勉強に励まなくてはならないと。
ゲーテというドイツの偉大な文学者を知ってるかな?
確か彼の言葉だったと思うんだが
「密かに清く自己を保存せよ。自分の周りは荒れるにまかせよ。」
とあるんだ。まだその意味がわからなくてもいい。でももし何年か後、何かの拍子にこの出来事を思い出して嫌な気持ちになってしまったらこのフレーズを思い出して貰いたいんだ。その意味を理解できればきっと楽になると思うよ。
これは君の人生に価値ある出来事だ、、、とは言えないかもしれないが何かの参考にはなるかもしれない。
そしてゲーテという詩人で科学者で政治家、そして文学者である人に興味を持ってくれたらとても嬉しい。彼はなかなかいい作品を残してるからね。
ぼくら大人が醜いことをやってしまったことも少しは報われるかもしれない。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ということかな。おっと、これに深い意味はないから考えなくてもいい。
ただのバカな大人の喧嘩騒ぎにゲーテを持ち出したのは大げさだったかな。
つまり言いたかったことはどんなにくだらなく見えることでも解釈のしかたで良い経験とすることができるんだ。
まさに「人間万事塞翁が馬」なんだ。この意味は、、、そうだな、あと5年もすれば国語先生に教えてもらえるかもしれない。
その時に何かを感じてくれたらぼくは嬉しい。
とにかくこの先いい人生を送り、いい男になってくれ。心から幸運を祈る!Good Luck!!」
動画を見た警官2人はそのままパトカーで真珠男を探しに行きその地域一帯が大騒ぎになった。その様子を真珠男は隠れて見ていたのかもしれない。
後日交番にノコノコ自首し「反省しているので許してやってほしい」と言っていると警官から電話があった。
「短気を起こしてすみませんでした」とも言っているらしい。一体こいつのあの時の剣幕はどこに言ったのだ。盛った芝居をしていたと言うのか。いやそんなに計算高いことができるほど賢そうには見えない。
どうやらその真珠男は不動産業の営業マンで、この事が会社にばれて大事になることを避けたらしい。暴力に近いことをして動画まで撮られてるわけだから言い訳はできない。つまり仕事をクビになり一家離散、後は一生違法なバイトでもやって生きていかなければならなくなることを恐れたんだ。
妻と大学受験を目指す長男、高校受験を目指す長女にさんざん罵倒され交番に出頭した。
状況証拠となる動画がネットにアップされ世の中に出回るのも恐れた。
今の時代、街中に監視カメラが張り巡らされ全ての人がスマホを持っている。そんな状態の中、喧嘩になって手を出したら一発アウトだ。その時点で人生終了だと言ってもいい。日本は失敗した人間に厳しい。良い悪いの話じゃない。そういう国なんだ。
すでに機嫌も直り、鬱陶しいハエに纏わりつかれた程度の事としてしか考えていなかったオレ、つまり熱しやすく冷めやすい性格のオレは
「自首したことに免じて許してやる、と伝えてください。ついでに警察の皆さんに迷惑かけたことも謝るように」と伝えた。
警官は一般人の喧嘩などという面倒な案件から解放される喜びを隠しきれない口調で承知した旨を述べた。
だが真珠男は納得しなかった。警官からスマホを強引に取り上げ泣きながらオレにこう言った。
「短気を起こしたことは心から謝ります。だからお願いです。動画をネットに載せないと約束してください。」
オレはもっと泣かせたい衝動と格闘しながら努めて低い声で言った。
「オレに構うな!」
静かに電話を切った。
オレはテレビの情報番組を消してその弁護士の話を聞いた。
「昨夜遅く、正確には朝早く午前3時、叔母上様の篤子様がお亡くなりになりました。」
思った通りだ。この時間にかかってくる電話はだいたいこの類の知らせだ。
「そうですか。膵臓癌で闘病していたのはもちろん知っていましたが、このコロナ禍で老人ホームから面会禁止になっていましたので会えませんでした。」
叔母は温泉街にあるの介護付有料老人ホームに入居していた。この毎日温泉に入ることができる施設は亡くなっても葬式の手配、併設している墓に入りその後墓の管理、お盆の季節の墓参りまで全て執り行ってくれる。
身内にない者にはもちろん、叔母のように子供もいない旦那も20年前に死んだ独り者にとって便利な施設だ。
とにかく面倒臭いことが嫌いで親戚関係の煩わしい付き合いを避けたいと考えているオレ一族全員に共通する性格にとってはこれ以上ない環境だ。この手の老人ホームは最近流行っているということはそう考えるものが多いのだ。
もちろん入居するのに高い金はかかるが。
「心からお悔やみ申し上げます。ところでお電話差し上げましたのは叔母上様の遺言に関する件です。つきましては直接お話したいのですがお時間いただけないでしょうか」オレ
弁護士はアナウンサーの様に早口で言った。滑舌も良い。
「はい、それは構いませんが」
「ご都合よろしければ明日の火曜日19時、新宿駅ちかくの喫茶店Mにご足労願えますでしょうか」
「明日の火曜日19時、、、」オレは繰り返した。オレ
大きなプレゼンは先週の金曜に終わった。今週は残業もなく落ち着いた週になるだろう。
「承知しました。伺います」
「ありがとうございます。ではその時に。よろしくお願いいたします。」
オレは静かに電話を切った。
その日の昼休み、もう20年以上食べ続けている海苔弁当とポテトサラダを一人で食べながらいろいろ篤子のことを考えてみた。
遺言となれば遺産の話もでるかもしれない。あの篤子のことだ。かなりの金額を貯め込んでいたに違いない。
オレの父親もそうだったがこの一族は金は使わずに貯めに溜めてて通帳の表示をみるのがこの上もなく好きなのだ。
オレ同僚の誰かと飯を食べて、このことを言わずにはいられないことを恐れたのだ。
そういえば親戚は面倒なことが嫌いで正月に一同集まるようなこともなかった。田舎の人間にありがちな正月は親戚一同集まって三日三晩だらだら酒飲みまくるということは最も嫌いだった。その性格はそのままオレに受け継がれ、それが原因、という訳ではないが離婚のトリガーになったのは間違いない。あの一族は北関東の田舎出身だったからな。盆と正月の集まりに一度も出なかったし葬式にも仕事の多忙を理由に出たことがなかったからな。
篤子は親戚の中でもさっぱりとして付き合いやすかった面と情に深い面を持っていたからオレの娘も可愛がってくれた。
家が比較的近かったということもあっただろう。篤子に子供がいなかったせいもあるだろう。5人兄弟、長女、長男(オレの父親)次女(篤子)次男、三女(この人は行方不明になった)のなかでも父親と篤子は仲が良くその子供つまりオレのことをよく気にかけていた。
頻繁に会うことはなかったがオレ子供と一緒に食事をした時は上等の鰻をご馳走してくれたし、子供の歯の矯正代60万も出してくれた。
オレの父親などは金をケチって祖母の墓参りに坊さんを呼ばずカセットテープで堂々とお経を流したほどだ。それらに代表されるこのケチな兄弟一族にとって朝日が西から昇るよりも奇跡的で信じられないことだった。
子供に靴を買ってくれた時はなぜか2足買ってあげると言った。「いや1足でいいですよ」と言ってもどうしても2足、2足じゃなきゃダメと言った。
「2足、2足、2足、2足、2足、2足、2足、2足、足2、足2、、、、」なぜ2足なのか今も解らず仕舞いだ。
何か理由があったのかもしれない。だがその理由は明かされることなくとうとう墓まで持っていってしまった。
オレがプライバシーが守られる喫茶店Mに着いた時、弁護士はすでに席で待っていた。グレーのスーツを着ています。と言っていたのですぐわかったがオレが近ずくとうやうやしく立ち上がって中途半端に頭を下げた姿はキツツキのようだった。
ところでキツツキはオレと会うのは初めてなのになぜ顔がオレ分かったんだろう。
キツツキの食性は肉食に近い雑食。木の中にいる昆虫などをついばんでいるという。オレの顔に昆虫のようなものを見て取ったのか。
「この度はこの度はご愁傷様です。私は叔母様の篤子さまから亡くなった後の処理を全てまかされた弁護士の木上といいます。」
「木上?やはりこいつはキツツキだ」オレは優しく微笑みながら心の中でつぶやいた」
「早速ですが遺言を申し上げます。篤子様が残された10億円の遺産全て風間様に与える、という遺言を承っています。」
「10億、はぁそうですか。。。」オレは言った。
「ずいぶん貯め込んでたものだな。」心の中でつぶやいた。
「はい、ただしこの御遺言には続きがあります。それはこのお金をどのように使ったかを随時私に報告しなければならないことを条件としています。
反社会的で不正な商いは論外です。賭博、その他不適切なことはもちろんのこと、ご自身が高価な洋服、車、豪邸などを購入されてもいけません。またどこかの慈善事業団体、研究機関に寄付などすることも認められません。そうした場合この叔母様の遺産は既に使ってしまった金額も含め全て返してもらうことになります。条件通りに使われたかどうかは私、木下が精査して判断することになります。そして遺言どおりに使われなかった、大きな過ちを犯したと判断した場合、遺言は一旦スイスの銀行に移されたのち、20年後に開封せよという叔母様の第2の遺言に添うこととなります。その内容は誰もわかりません」
「はあ、そうですか」オレは現実がよく理解できずマヌケな返事をした。
「遺産の使い方がグレーゾーンであるにせよ、そうでないにせよ、つまりどんな使い方でも私が確認、精査し判断することを厳命されております。思いっきりシンプルに言えばご自身の日々の買い物や食事、食事というのは1000円から2,000円程度の食事、そして釣りや国内旅行などの趣味や娯楽のため以外に使うことはできないのです。」
「はあ、そうですか」オレは同じ言葉を繰り返し、そういえばこの近くにうまいラーメン屋があったことを思い出した。
「これが遺言書のコピーです。ご確認願います」
オレは読むポーズを取りながら思い出した。「そうだ、タイ料理のうまい店もあったな。」
「これらの条件を御了承していただけるのでしたら実印を印鑑証明をご提出の後10億円全額がご指定の銀行に振り込まれることになります。」
「わかりました。」オレは隣の席にいる女の足首を見ながら言った。
「とりあえず30年ちかく通っている新宿のジャズバーGrooveに行ってワインを飲もう。ラーメンにするかタイ料理にするかはその時考えればいい」
すると喫茶店のBGMがチェット・ベイカーのIt Could Happen to Youの変わった。和訳すれば「それがあなたに起こるかもしれない」
たぶん偶然この話を聞いた隣の女は実はこの店の重役で、女が選曲担当にこの曲を流すよう指示を与えたんだ。
そうとしか考えられない出来すぎたシチュエーションだった。
だがこの歌には「星を数えてはならない。さもないと転んでしまうから」
「教会の鐘が鳴ったら走って逃げなさいね」という歌詞がこの女の一番伝えたかったことなんだ。だが早くGrooveに行ってワインを飲みたかったオレはそんなことに気が回るはずもなくその場を後にした。
(続く)
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