遭難者は、自分が道をロストしたと気づけるのか?『劣化する支援6@名古屋』
2018年5月25日は、名古屋にて一般社団法人officeドーナツトークの田中俊英さん、日本福祉大学の野尻紀恵さん、半田市社会福祉協議会の前山憲一さんをパネラーに迎えて、『劣化する支援6@名古屋』が開催されました。
ざっと1時間のパネラー報告と、1時間のディスカッションを終えて、「あ、これごくごく普通に書いちゃった方がいいかも」と感じたので、ここに書いてみます。
これを書いている自分について
自分自身の立ち位置は、障害福祉系の行政書士ということで、いわゆる「中間支援」の人です。
ただし、顧客から求められているコト(=書類の整備や各種書類作成代行、”◯◯って制度的に大丈夫?役所に確認しておいて”対応、など)を行うためには、ずっと外側から関わっててもダメだと考えてます。
代表者だけでなくコアで働く人のこともちゃんと知らないと、結局、
「仏作って魂入れずどころか、大仏殿もろとも仏大崩壊」
みたいなことになるなぁと考えて仕事してます。閑話休題。
『劣化する支援6』で話されたこと
『劣化する支援6』では、
・中間支援(支援する人を支援する人や団体)のあり方
・わかりやすく、短期的に目に見えやすい支援ばかりを行いたがる支援者
・それを評価してしまうバックアップ機関(なんとか財団とかあの辺)
・NPOの20代職員、生活設計考えて30代で辞めてしまう問題
・学生や20代で社会的起業する人と、それを無責任にもてはやす人たち
・(承前)……という人たちの「相互評価お友だちサークル化」
・専門職や社会福祉協議会の劣化
・自分の哲学や言葉を持たない代表者(過去のスゴイ人の名言は自動的に出てくる)
・そもそも社会的起業をしたい人ってさ・・・
といったあたりが語られていたのですが、あえて深く分け入ることはせず、これ特定の業界の特別な話じゃないなーと思った点と、とはいえ特別な部分もあるぞーという部分を書きます。
栗城さんはエベレストで何を思ったのか?思わなかったのか?
足元が見えず目に見える成果を求めることや、若い挑戦者をもてはやしがちな周囲の傾向、そのあげく引くに引けなくなる状況ってのは、もう全然NPOとかそういう”特殊な”世界のことじゃなくって、あるある話だと感じました。
一例としては、つい先日、2018年5月21日に、エベレストで亡くなったとされる、栗城 史多(くりき のぶかず)さんのこと。
登山に興味ない人間なので、特に思い入れはありません。とりわけ悲しく思うこともないし、disっていた人たちのようにメシウマとうそぶく気もありません。
ただただ、栗城さんがすでに「もうどうしようもない」と悟った時、何を思ったんだろうということは気になっています。
いや、もっともっと前に「これはもう引くに引けない状態になってるぞ自分」と思った時、どんなことを思ったんだろう。
挑戦する若者で、その活動である冒険をリアルタイムで共有し、たくさんの心優しい応援と仲間、挑戦を可能にしてくれる熱いスポンサー、講演を依頼する教育機関や各種団体に囲まれて、果たして彼に撤退や縮小という判断はできたんだろうか?そもそも、「それも自分の、自己責任」という考えになってたんじゃないだろうか?
そこに、その道の専門家による批評の役割がある。とは言えるわけです。しかし、今回の栗城さんの件については、登山ライター森山憲一さんの一連の文章を読むと、利害関係のない第三者による言葉が届かないところに、栗城さんはすでにいたという印象を受けます。
2017年6月2日 森山編集所登山ライター 森山憲一のブログ | 栗城史多という不思議
2017年6月9日 森山編集所登山ライター 森山憲一のブログ | 栗城史多という不思議2
2017年7月25日 森山編集所登山ライター 森山憲一のブログ | TJAR Photo Bookできました
2018年5月23日 文春オンライン | “賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか(森山 憲一)
以下、文春オンラインから引用します。
誰かが「暴走」を止めなければいけなかった
<略>つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。
登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし。すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。「森山さんは僕のことを誤解しています」と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った。
結局、会見は平行線をたどり、批評する(暴走を止める)べき専門家も言葉を失い、栗城さんは遭難しました。
果たして栗城さんの遭難は、直接の現場であるエベレストで起こったのか?
もっと手前でロストは起こっていたんじゃないか?
もし、そうだとしても、それに気づくことはできたのか?
もし、気づけたとして、それを口にできたのか?
もし、口にできたとして、受け止めてくれる人はいたのか?
それら一切合切を含めて本人は「結局、自己責任なんだ」とは考えないか?
声が届かなくなる地点。point of no return, 孤立の川
より不可能と思える無酸素単独や難ルートを選択していった栗城さん
よりわかりやすく短期的に目に見えやすい支援を選択するNPOなどの団体
一見正反対ですが、(事前と事後の違いはあるにせよ、実に実に表面的な)”社会的”評価と経済的な見返りが、それら選択の原因となっているように思えます。
おそらく、上記の栗城さんのように、NPOなどの支援団体の中でも目先の成果に集中するあまり、「それはどうなの?最初はそうじゃなかったんじゃない?」という声が届かなくなる地点があるのでしょう。
そして、その地点をほとんど見えないものにしてしまう「自己責任」という言葉。
『劣化する支援6@名古屋』の会場ディスカッションでは、「劣化していくNPOなどがあるとしても、それは一般化したことによる市場淘汰である」という声もありました。
それもその通りです。
ただ、支援を団体の事業とする場合、通常の企業などであれば5年、10年とかけて淘汰されていくのですが、支援の世界においては、「その時間がサービスの受け手にとって長過ぎ」なのです。
だから、参入する側の自己責任では済まない。
それが、支援業界における特別な事情。
簡単にいうと、子どもへの支援(内容はなんでもいいです)で10年の時間があれば、ほぼ全ての子どもが入れ替わっているはず。
だから、市場淘汰を待つ(これも一種の自己責任論に近い)よりも、「それってどうなの?」という言葉が届かない地点へ行く前に、的確に率直な意見を言い合える批評する場であったり、批評するぞっていう人が重要なのだと自分は理解しました。
「孤立の川」という言葉があります。
これは、自分の参加している団体でよく使われる言葉。
特性や学生生活・就職の失敗、社会での居場所の喪失などを繰り返していくなかで、無力感や不全感が募り「どうせ自分なんて…」と社会とつながる力を失い、社会的孤立に陥ってしまうときに使います。
孤立の川を渡ってしまうと、自らを隔絶してしまい、つまり言葉が届かなくなります。
不思議なことに、自己責任という言葉は孤立の川を渡る人にとって優しくて恐ろしい魔法の呪文。自分と周りの関係を閉ざすときに、自己責任ほど使いやすい言葉はないでしょう。(実体験あり)
いつの間にか自己責任って言葉にそそのかされて、孤立をしてしまうのは、支援される側が川を渡ってしまうのと同じように、支援する側が渡ってしまうことにもアンテナが必要。
(支援される側、支援する側って二元論がとっくに賞味期限切れだと思うんですが)
栗城さんの心のなかは、もうわからないし、たとえ生還されたとしても、語られることはなかったんだろうなぁ。
本当に、それもこれもあれもどれも、自己責任で片付けちゃあいけない。