薄暗い気持ちと
コロナで週に数日出ていたバイトが4月には完全に休みになり、そのまま5月下旬のここまで家籠りをしている。週に2回ほど食料などの買い物に出るほかはどこにも行かない毎日を続けてきた。
もともと家にいる時間が長めの暮らしだったし、家族全員家が好きなのでずっと家にいても過ごし方自体はそんなに変わっていない。でもバイトが休みになって1週間ぐらい経った4月上旬から、体調に異変が起きた。具体的に言うと胸が苦しい。動悸がする。胸が詰まって、息がしにくいような、咳をしたいような気がする。不調は断続的にあり、何ともない日もあれば、1日中横になっていたいような日もある。苦しさの程度が増すことはなく、この1カ月半ほどずっと同じような感じ。
最初のころは、息苦しさについてもしやの感染の可能性も考えないではなかった。でも自分には熱がなく、止まらぬ咳もほかの症状もなく、何より様々なコロナ感染手記に見られるような激烈なつらさがない。症状に進展も変化もなく、時々胸が苦しいだけだ。
コロナに回すために医療従事者と資源が逼迫し、緊急でない手術は先送りされる、そんな情報が流れくる今、自分の状態には緊急性があるようには思えない。そう判断して、症状に変化が起きればその時対応しようと、とりあえず医者にはかからず、だましだまし様子を見ることにした。
そのうち、みんなが多かれ少なかれ不安と緊張を感じているこの生活のなかで、すこしばかり自律神経が乱れているのだろうと思うようになった。仕方がないからできるだけ考えないようにして生産的なことに向かおうとした。体が動かせるときはこまめにパンを焼いたりケーキを焼いたり、買いためた本に手を伸ばしたり。ふだんなかなか手を付けられなかった片付けものもはかどった。
でも不調はいつもそこにあった。楽しいひと時に忘れることはできても、それはいつも戻ってきた。そしてここ数日は朝起きてから夜眠るまで、ずっと胸苦しさが消えなくなった。そんな時は何もできない。何かをしようと起き上がると動悸がして息が苦しく、とにかく体を横にしたくなる。
気づけば世間はそろそろ東京の緊急事態宣言が解除されるかも、という状況まできていた。なのでどうせ行くなら人出の始まる解除前に、と覚悟を決めて医療機関に行くことにした。なんだかわからぬ不調をただ抱え続けることも更なるストレスになる。白黒はっきりさせたかった。
すぐそばに幸いなことに循環器専門医による内科クリニックがあり、そこで心電図、レントゲン、心エコー、果ては血液検査までやってくれた。結果は「問題なし」。オキシクロノメーターによる酸素飽和度も白血球も正常。つまり思っていた通り「みんなが多かれ少なかれ不安と緊張を感じているこの生活のなかで、すこしばかり自律神経が乱れている」だけということだ。これはめでたい。自分の体に病変はない。それを知ることができたのはよいことだ。
問題は、だからといって胸苦しさも動悸も消えないことだ。そもそも循環器になにも器質的な問題がないところで起きている不調なのだから、それが証明されたからと言って突然症状が消えたりはしない。けれども一方で、ただ家にこもってケーキを焼いたりしている生活でも、存外強いストレスを受けているものなのだ、ということを改めて思い知らされた。安全なところにいるようでも、途切れない不安と緊張は折にふれて気持ちを薄暗くする。その暗さは思いのほか奥が深い。何ともない人もいるだろう。でも私のように不調になってしまう人もいる。
こんな風にちょっとした不調を抱えているのは、本当に自分だけではないだろうと思う。でも、現在の世界のあまりにも深刻な緊急事態のせいで、それにくらべたら自分の具合の悪さなんてたいしたことじゃない、とひとに言えず、言わず、薄暗い気持ちを抱えている人がいるんじゃないか。
それが、こんなささやかな不具合をわざわざここに書くことにした理由だ。コロナに感染はしていない、でも体調が悪い、入院したり手術が必要だったりするような病気ではなく、たいしたことはない、でも元気じゃない。そんなだれかに、ストレスが体に出ている状態もつらいよね、わかるよ、と伝えたい。大声で叫ばないにしても、ひっそりとでも。