涙の先にあるもの。
こんにちは、菜穂です。
雨の日の保育園への送りは大変です。
自転車なので、わたしはカッパを来て、荷物は雨に濡れないようにゴミ袋に突っ込みます。
準備が整ったところで、自転車カバーを素早く取っ払い、
素早く子どもを乗せて、カバーをかけます(子供席にはカバーを設置しています)
キャップを深々と被り(雨予防)、
滑るマンホールに気を付けて、出発進行!
今朝は、まだ雨脚が小雨だったのでそんなにぬれずに済みました。
(私のかっぱ、下は履いていないため)
私の住む埼玉県は全国的にも晴れの日が多い県らしいので、
あまりこんな風に雨に苦労することは無いのですが、
朝からこんなに苦労するのはやっぱりげんなりしますね。
関東の冬は晴れが多いので本当に助かります。
さてさて、
#書く習慣 #1か月書くチャレンジ
わたしは結構涙もろくて、ちょっと強く言われた泣きますし、
感激したりしても泣きます。
しかし、泣いてしまう一番の理由は悔しかったり、やるせなかったり。
不甲斐ないことを実感してしまうときですね。
あぁなぜ自分はこんなにもできないんだろう。
悔しい、言い返せない。
そんな時です。
うちは、夫婦喧嘩が結構あります。
そのたびに、主人に私が掃除ができないことを責められます。
これはほんとに悔しいのです。
やれるのならやれている。できないからできていない。
それを理解してもらえてないから。
掃除について、言われるたびに思うことがあります。
そこが汚れていることに気づけるかどうか?
気づけないから何もしてないのです。
でも主人は気づいて掃除をします。
気づけないことについて動くことはできないと思いませんか?
私だって気づけたら動きます。
あとは、掃除の必要性について。
キレイなほうがいいに決まっています。
細かい部分の掃除について、今しなくてもいいか。と思ってしまう。
それについても、主人はササっとやってしまいます。
そこ当たりの感性の違いについて責められるのはつらいのです。
わたしの実家は、いわゆる汚屋敷です。
ものやゴミで溢れています。一筋の通り道しかありません。
農家だということもありますが、家の中までザラザラしています。
掃除機をかけたところを見たことはありません。
そんな中で育ったので、感性が退化しているのです。
主人には、もう大人になったんだから、実家がどうとかは関係ないと言われます。でも、家をでても退化した感性で過ごしてきているのですから、
そんなことを言われてもできるわけがありません。
そもそも気づけません。
そこを責められると悔しくて泣けてきてしまいます。
個々人の個性もありますが、親ガチャもあるんです。そこの悔しさはあります。
でもそれを言い返しても理解をしてもらえなくて、さらに悔し思いをします。
でも、ちゃんと建設的に、「ここがこうだからこうやってほしい」と言ってくれます。そういわれたら気づくことができて、時間があれば対応ができるようになりました。
成長だと自分ではおもっています。
その他に、映画などでも、結構涙くんでしまうことあります。
ヒューマンドラマが好きなので、好んで見ていますが、
「ここが泣くところだよ」みたいなところでは、必ず泣いています(笑)
制作サイドの思うがままですね。
映画で泣くとスッキリしませんか?
気持ちがデトックスする感覚があります。
わたし今現在がどんなにぐちゃぐちゃにひどい状態であっても、
泣ける映画で泣いたとき、一時的にすべて吹っ飛ぶような。
泣いてスッキリした後、決まってちょっと前向きになっています。
不思議ですよね。
なんだか、自分の人生は捨てたものじゃないような、まだまだいけるような、ダメダメだった自分を肯定してあげられるような。
そんな気分になれるのです。
友達に悩みを話たりするときも、似たような感覚がありますね。
相手が友達だからすこし強がって盛って話したりするんですよ。
でもそれが本当の自分であるように自分でも思って話が終わったりします。
こうやって書いてみると、気持ち次第ってことなのかもしれないですね。
落ち込んで泣いたりすることも、
感動して泣いたりすることも、
私たちには必要なことなんでしょう。
感情が強く動くことがなくなってしまったらと考えると、
結構恐ろしいと思いませんか?
泣くことは大きく感情が動くことです。
そうやって自分自身を動かすきっかけを作っていくような気もします。
悔し涙も、感動の涙も、うれし涙も、次につながる大きな感情です。
わたしもまた泣くことがあったら何かしら次につながるといいなと思います。もしかしたらnoteのネタかもしれませんが(笑)
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