”無知”という罪
「知らない」という状態には理由が2種類あると思う。
一つは単純に、これまで学ばなかったり経験してこなかったりしたから。
もう一つは、自ら進んで知ろうとしなかったから。
きっかけはたくさんあった。
知ろうと思えば知ることもできたし、
変わろうと思えば変わることもできた。
けれど、その都度「いまのまま」の自分を選んできた。
だってラクだから。
考えなくたっていいから。
それはまさに「社会によって目隠しをされた」状態。
深く考える必要がない、居心地の良い状態。
出されたもの、そこにあるものを何も考えずに食べてる状態。
だけど、
思い切って目隠しを外すと、今までよりもずっと広い世界が待ってた。
ときどき眩しすぎで目が眩むことはあるけれど、
一度外した目隠しはもう二度とつけることはできない。
ラクなほう、大多数のほうに、もう流れない。
食事の仕組みについて深く考え始めたら、
環境のことを知るようになった。
環境の仕組みについて深く考え始めたら、
企業のことを知るようになった。
企業のことを深く調べ始めたら、
社会のことを知るようになった。
社会の仕組みについて深く考え始めたら、
政治のことを知るようになった。
みんなつながってた。
何も知ろうとしなかった自分、罪だなあ。
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