主産物と副産物を考える。世田谷の農園から
2025年、2日目ーーー。
お正月はいつも今年はのnoteを毎日更新しようとか思う。
今年のテーマは何かなとか自分なりに考える。
今年のテーマはこれー!
この写真、なにかわかりますか~?
右のオレンジの入れ物にはいってるのが「収穫物」で、左の一輪車に乗せているのは「残渣」とか「野菜くず」とか呼ばれる部分。
言い換えれば、右が主産物で、左が副産物ともいう。
または、右が可食部で、左が廃棄物ともいう。
究極でいうと、右はお金になり、左はお金にならない。
右:ブロッコリーの可食部と、
左:葉っぱとっ茎の部分。
冬野菜でいうと、大根とか、かぶはほぼまるごと食べられるのに対して、
ブロッコリーは特にこの差が顕著なのである。
ゆえに、高くなるともいえる。
ふつう、大根が1本198円のとき、ブロッコリー238円ぐらいじゃないですかね。
今はそれが、400円ぐらいになっている。高い高いというけれど、
こーんなエネルギー使って大地から葉っぱや茎をつくりだしたほんの一部が食べられる部分なのである。
さっき、廃棄物と書いたが、畑の中にあるとき、実は廃棄にはならない。
土に埋め戻すから。土に還るだけ。
焼却所で燃やすのとはわけが違う。
よって、畑において、食品ロスは存在しない。
食品ロスという概念がううまれるのは、野菜が商品になって棚に並べられたあと。つまり、値段がついた後だ。
食べられる野菜の背景にあるものを考えたい。
正月早々、難しいことをいうてますが、
畑で野菜をつくるとくことは、そういうこと、いやおうなしに知るということなんですよね。
ことさら、文字にしないまでも。
でも、そういうこと、知ってるのと、知らないのとでは、
スーパーで買い物するときも変わってくると思う。
それが、ベジアナっやってて、農ライフすすめるゆえんだ。
毎年、日本農業新聞の元日号に「今年よみ」というコラムを書いています。昨日の掲載でした。(2025年1月1日付け)
ブログ用に加筆訂正して掲載します。
人間同士の交流がカギ
農村の創造的復興を
防災では「自助、共助、公助」の順番が大事で、まず自力で助かれば、地域内で共助できるという。
これを農業・農村に置き換えるとしたら、地域の自給圏の集合体が国を助けるという順番になるだろう。
一年前の元日に能登半島地震が起きた。
現地は復旧・復興の只中にあるが、今年は阪神淡路大震災から30年の節目でもある。
現在、石川県の復興プランに掲げられている「創造的復興」とは、1995年の兵庫県から始まった。
「創造的復興」とは、従前の復旧にとどまらずさらに良いものを目指すアプローチで、
とりわけ人の復興と呼ばれるコミュニティの再構築が欠かせない。
ただしそれには地域内だけでなく、外からの人の力が必要である。
支援のみならず、人間同士の交流によって生まれるふるさとへの誇りや愛着がやる気となり、行動変容につながる。
都市も農村も片方だけの繁栄では持続しない。
人が交流し、活気づくことで初めて地域は動き出す。
食の観点から考えると、不安を抱えるのはむしろ都市である。
泉大津市では、「市民の健康増進と食料危機への備え」として食糧の安定確保を掲げ、
旭川市など8自治体とオーガニックビレッジの連携協定を結んだ。提携先のお米を学校給食などに活用する。
自治体が手を結んで自給圏ネットワークをつくり、相手を応援しながら自分を守れば、
互いの安心につながる。お米が足りないとき、スーパーへ駆けつけるのではなく、
普段から友達の田んぼへ通える道が必要だ。
多様な主体が農に関わり農村へ往来する法整備が急がれる。
そういえば、
都会と地方、都市と農村を、お金になるものとならないものに分けるとしたら?
主産物と副産物に分けるとしたら、
どっちが主産物だろうか?
食べ物のこと、ことさら、食べ物の値段を考えるとき、本当はやはり、
お金のことから考え直さないといけないと思う。
ベジアナあゆみ