ポツンと一軒家を見て。今では少数民族となった農山村に生きる日本人の暮らし
みなさん、こんにちは。
きょうも東京は猛暑です。
昨日、再放送の「ポツンと一軒家」を見ていたら、
北海道・十勝の様似町で放牧で牛を飼う西川奈緒子さんファミリーが紹介されていました。
そもそも牛の自然放牧とは
牛が草原や森で過ごし、牧草、野草、山菜を食べ、川の水を飲んで自由に生きている。
一般に、肉牛というのは、太らせないといけない(肥育)。
放牧して自由に動き回ると、脂肪が減り、筋肉がついてしまい、やせてしまう。(人も牛も同じだ。)
肉を多くとるためには運動させない方がいいので、肥育期間は牛舎の中で運動させずに飼うのが一般的。というか99%それが当たり前の畜産業界で、放牧を貫くのは、圧倒的少数派である。
にも関わらず、この牧場では出荷直前まで運動している。
そもそも牛舎がない(昔建てた古い牛舎しかない)。
当然、運動しない牛よりも脂肪は少なくお肉は固くなってしまう。
いわゆるサシの入る黒毛和牛とは正反対の価値観を追求している。
ジビーフ。
黒毛和牛とは違い赤身主体の牛肉です。
歩き回って筋肉がついているから、霜降り(サシ=脂肪交雑)のとろけるお肉ではありません。
だけど、噛みしめると牛肉のうまみが感じられるしっかりしたビーフ。
番組を見ながらわたしが感じたのは、地上波のテレビ番組でこういうテーマを扱う時代になったのだなーという感慨深さと、驚き。
普通の牛肉生産を続けられなくなった原因は
番組では、西川さんがジビーフに至る経緯を丁寧に紹介していた。父の代から始めた牧場で、
経済成長の時代、日本人はもっと牛肉を食べるようになると今の土地に移り牧場を拡げて開拓を進め、牛の数もなんと800頭まで規模拡大していった。
幼いころから牛とともに育った奈緒子さんは、牧場を継ぎたいと獣医師の資格をとり、同じく獣医師の夫とともに、父の牧場を継ぎました。
しかし、90年代はじめに牛肉自由化が始まり、安い輸入牛肉が大量に国内に入ってくると、
国産の牛肉価格も低下、さらに2000年代になるとBSEの世界的流行が広がり、国内にも発生、
風評被害から消費者の牛肉離れが起こり、牛肉が売れなくなる状態に。
800頭いた牛を飼い続けることはできず牧場は存続の危機に。
(この辺の歴史的背景まで番組内で、新聞記事などインサートして紹介していることにも感心してしまった)
そこで、小規模でもコストをかけずに牧場を続けようと始めたのが、今の完全放牧。
その方が、牛にとっても自由だし、
人間(畜産農家)にとっても、牛舎で何から何まで世話をする飼い方に比べると、管理がラクで、しかも牛が健康になる。
こういうことを番組で丁寧に紹介していることに驚きました。
ポツンと一軒家が伝えようとしていること
ポツンと一軒家という番組は、そもそもドローンの映像で上空から見たときに、
こんな山の中にポツンとなぜ?
人はなぜこんな過疎の山の集落に住み続けるのか?という問いが根底にある。
農山村に生き続ける昔ながらの日本人の暮らしを、いわば、民族学的に扱っている。
なぜ人里離れた山奥や過疎の地に住み続けるのか
1970年代には1000万人いた農業人口が、130万人になった今、
農業・農村人口が、総人口の1%というマイノリティーになった時代に、
それでもなお農村に生きる人々は少数民族のようなものである。
現地で発見した「第一村人」が何を思い、どう暮らし、何をして生きているのか、
そこを探りたい、知りたいーと言う知的探求心が、エンターテインメントになっている。
だから、最も大事なことは、当事者へのインタビューである。
どんな人生を送って来たか、
なにを大切にしてきた人なのか、
といはいえ、今の社会とどう関わり、経済を成立させているのか、
本人の語る言葉から、そこに住み続ける理由を探っている。
農業の取材を長く続けている私には、これほど放牧する意義や理由を、
しかも地上波の番組で、
丁寧に掘り下げていることに驚いたわけだが、
人の生き方を紹介している番組だと解釈すれば、ごく自然なことなのかもしれない。
放牧の意義や理由とは何か
ここでいう(牛の)放牧というのは、牛を飼う農法の一種である。
大別すると、舎飼い(牛舎で飼うこと)と放牧(まきばに放つ)の2つに分かれる。
農水省や農業関係の説明では、
両方ともぞれそれメリットどデメリットがあるという書き方が多く、
日本で放牧が少ないのは、土地が狭いため、という理由が圧倒的に多い。
でも、本当にそうなのでしょうか。
日本中、耕作放棄地が増えていて、農地が荒廃している風景を見かける。
人の力ではもう管理できずに放置されている。米を作っても高く売れないのに、労力ばかりかかるとペイできないと離農してしまうことが多い。
人間で耕せないなら、牛で耕してもらうことはできないか。
というのが、放牧を進めたいと思うシンプルな意見だ。
放牧のメリットは、 農業にも環境にも人にも、ある。
家畜(動物)にも、経済(生産者)にも、食料生産(国全体)にも有効である。
牛乳が余って困っている酪農業界にも、(放牧(牧草主体)は購入した飼料を与える飼い方よりも乳量が少ない=全体の乳量が抑えられる)
肉牛が高値で売れなくて困っている畜産農家にも、
飼料代が高騰し過ぎて経営難に陥っている畜産業界全体にも(放牧は自分の放牧地で牧草を育てるからあまり購入飼料が少ない)
メリットが多いと考えているのだが、
どうやら国の農業政策を見ていると、「農業の近代化」ばかりに力を入れ、
小規模農業や、放牧、家族経営、小さな地域内の資源循環を増やそうと言う動きが感じられない。
スマート農業や大型化、無人化で農業ができる仕組みを推進した挙句、本当に農村に人がいなくなったらどうなるのだろう。
今よりもっと鳥獣害が横行し、人間以外の生き物の楽園になり、土地は、国土は荒廃するのは時間の問題だ。
クマやイノシシ、シカが走り回る地域を選ぶか、草原に牛が放たれている風景を選ぶか。
という問題意識を持つわたしには、今回の、自然放牧(を肯定的に紹介)をしっかり取りあげた番組が
こうして地上波で放送され、タレントや、林修さんとか文化人が、こういう牛の飼い方、家族の暮らし、お肉って、いいね、
とコメントして肯定することから、農業農村問題の改革を始めるしかないのかもしれないなと思った。
よく、マーケットインって言いますね。
生産という川上から考えるのではなく、消費という出口から考える。
消費者とは、つまり視聴者である。
家畜の本質は、人が食べないものから恵み(食料)を生み出すこと
家畜を畜舎の中で飼い、輸入した飼料を与えてきた畜産という産業ですが、ここへ来て為替相場、国際情勢、中国の急成長、気候変動、あらゆる地球規模の危機から来る飼料高騰により、
経営基盤がゆらぎ、脆弱さが浮き彫りになっています。
一方、霜降りの黒毛に有利な格付け(A5とかA4とか)により、和牛以外の牛肉が、適正な価格で取引される市場はありません。
ということは、黒毛以外の生産者が、生産だけで生き残る道は、ほぼ無いというのが国内市場の現状。
和牛は4種類あるとは名ばかりで、黒毛以外の生産者の生き残り策は、実質ない。
人類史上、畜産、家畜の最大の特徴は、「人が食べないものを食べてくれて、そこから食料などの恵みを生み出してくれること」。
人口減少、鳥獣害、食肉の市場価値、土地利用、草資源の活用、脱炭素、石油エネルギー以外の動力、動物福祉、生態系サービス、 ますます家畜と人の共生、放牧の時代、 そして多様なお肉の価値の時代を感じたのでした。
ベジアナぽつんと農村アナあゆみ