「花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道」山の手入れをし続ける暮らし 自分と里山はひとつの生命体
「花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道」
NHKが18年に渡って記録したドキュメンタリー映画を見て、感想を書かずにいられなくなりました。
埼玉県秩父市吉田太田部楢尾。
住む人のいなくなる集落に花を植え続けた夫婦がいました。
継ぐ人のいない畑や山が荒れて行く。
せめて花を咲かせたら、耕す人は途絶えても、人が見に来てくれる。
ムツさん夫婦が植えた花や木は1万本。
今年の春も色とりどりに咲き誇りました。
家のウラから山のてっぺんまで、傾斜地の段々畑を耕してきたムツさんと
公一さんはやがて、山の上の畑から、しまい支度をはじめます。
子どもたちは独立して町に住み、自分たちの代で畑を山に返そうと覚悟を決め、斜面に花や木の苗を、20年以上に渡って植え続けた記録。
この作品には、4人のお年寄りがでてきます。
小林公一さんとムツさんの夫妻、新井武さんと、ヨネさん。
みなさん80半ば過ぎまで楢尾の集落の住人でした。
「道つくり」といって、みんなで山道の手入れをする場面があります。
下草を刈り、枝を払い、倒れた木を片付けていきます。
「道普請」や「溝さらえ」などとも呼ばれる共同作業は、少なくなったとはいえ、今も田舎の農村で続いていますが、楢尾では年に3度も行われます。
炭焼きや養蚕、林業が栄えていたかつてほど、人が行き交う道ではなくなり、定期的に人が入って道を維持しなければ、あっという間に鬱蒼とした緑の生い茂る山に戻るためかもしれません。
行政や業者に頼むのではなく、みんな総出で、繰り返しする春夏秋の作業は、むらの祭りや年中行事に並ぶ決まりごとなのでしょう。
4人の中で少し若い武さんは、コンニャク畑や林業や、じつに様々な仕事をこなします。
かつては石垣を積み上げて切り開いてきた畑は、戦後の国の政策でスギの林に変えられます。
しかし、その杉の木が成長したとき、安い輸入木材が出回り、杉は行き場を失いました。持ち主不在の山は、手入れが行き届かず、大雨でも降れば土砂崩れを招きます。
産業にはならない山を維持するため、少なくとも今の環境を保つために、
武さんは山に入ります。
20年かけてムツさん夫婦が植えてきた紫陽花が、やがて立派に成長し、
作品の後半、ムツさんがその枝を払う場面があります。
ガードレールを超えて道路に枝がのびると、車の邪魔になるといけないからと言って、枝を払うのです。
ムツさんたち、このむらの人たちは、常に自然の手入れをしているのでした。
自然の、山の、成長を、ときに助けながら、ときに抑えながら、
山の生命と人の生活とがほどよく折り合うちょうどのところを、常に探り続けているのでした。
そうして、自然を見定め、向き合う暮らしは、究極の「自立」でもありました。
「自治」であり、自給、自立です。
80数年そうやってきたむらの人々やムツさんたち自給的農家は、
家の庭先から裏の山までぜんぶ、つまり里山=自分、同じ一つの生命体として、花も木も土も、生き物も、害になるイノシシでさえも、同じ世界を生きる住民として、ひとつの物語に登場する仲間のように思えてきます。
世界はそこで完結しているので、依存もクレームもありません。
養老孟司さんの著作に「手入れという思想」という講演録があり、これを思い出しました。
一部を抜粋します。
(あまりにもなにもかも合致するので読み直してしまい、数か所から引用)
養老孟司特別講義 手入れという思想 (新潮文庫)
日本人本来の自然に対する感覚の根本にあるのは「自然との折り合い」です。
まず自分が作ったものではない自然というものを素直に認めます。
それをできるだけ自分の意に沿うように動かしていこうとする。それが手入れです。
その手入れをしていきますと、天王洲(都市)とか白神山地(原生林)ではない風景が日本にはできてきます。
これが「田んぼ里山風景」と現在呼ばれているものです。
これを維持するために日本人はおそらく千年以上にわたってずっと手入れをしてきました。
里山風景を作るために農家は手入れをしたのかというと、そうではありません。
こうやったら一番米がよく作れるのではないかと、ただ必死になって努力しただけです。
そういうふうにやっていて、1000年たったら、いつの間にかこんな風景になった。
自然の中に暮らしているときに不幸な出来事が起こりますと、「それは仕方ない」となるということです。
一方、都会の中で不幸な出来事がおこりますと、「誰のせいだ」ということになります。
溝に落っこちたら、誰かのせいというのが都市です。
日本人が変化したのではなく、日本が都市に変わったのだというふうに考えると、よく理解できると思います。
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ムツさんたちは常に手入れをしていました。
山の手入れ、畑の手入れ、道の手入れ、使う道具の手入れ。
日本昔ばなしに出てきそうな、小さくてかわいくてよくしゃべるおばあさんと、寡黙で働き者のおじいさんは、平成のつい最近まで、埼玉県のちょっと山間に生きていました。
農村の集落のしまい方はここだけでの話ではありません。
全国的な課題です。
自分の代限りではなく、里山の命を後世に残そうと、壮大なミッションを成し遂げた日本人のはなしです。
ようやく6月から劇場公開となりました。
「花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道」
NHKが18年追った村の記録
シネスイッチ銀座ほか埼玉県は3か所で上映
大宮、新所沢、熊谷、テアトル梅田、静岡、奈良、福岡、香川ほか
ベジアナ 農村アナ@あゆみ