動画クリエイターをライフワークにした理由
はじめまして
現在、映像制作メインに仕事をしています。
首都圏の海の近くに住んでいます。
僕は今、自分のしたいことを仕事にしています。
都内の近郊でフリーランスで動画制作やカメラマンなどをして最近では企業さんの課題解決と現場の雰囲気づくりを高めるサポートをしております!
映像制作をお仕事にするまで
僕は東北の大学で環境エネルギー学科を卒業後、某テレビ局でカメラアシスタントとして働き始めた。
そのときは、家にこもりがちな家族に外の世界をたくさん見てほしいという思いがあった。
でもカメラアシスタントの仕事は甘くはなかった。
「どうしてこの仕事が楽しいと思ったんだっけ…」
映像も世界にも輝きを感じられなくなってしまった。
最終的には会社のパワハラが原因で潰瘍性大腸炎になりストレスが解消されないまま辞めてしまった。
結局、色々な刺激が欲しくて仕事を辞め、世界旅行の旅に出た。
シンプルにいうと環境を変える以外自分の選択肢はなかったとも言える。
映像制作はやめようと思っていた
僕は船に乗船した時は気晴らしになればいいと思って乗っていた。
仕事でうまくいかなかったことや家族の問題を整理できない状態で
心はパンク寸前だったと思う。
船には色々なチームがあってお客さんでも有志でお仕事をサポートできる制度があった。
最初は自分自身のトラウマもあったせいか映像チームのお仕事は乗り気じゃなかった。
しかし色々なことが重なりやるしかない状況になってしまった。
船上での大運動会をきっかけに
船上で開催される運動会は地球一周クルーズの中で最大のイベントであり1000人近くも参加する大イベントでもあった。
当時の僕はやらないまま後悔する選択が多い人間だった。
なので少しでもやりたいと思ったら行動する
クルーズにしようと決めていた。
乗船してから一週間で500人のまえで司会をやっていたこともあり何も失うものはないと思って開き直っていた。
運動会は誕生日月ごとにチームが決められていて団長は立候補制だった。
自分が所属する青団の選挙が一番最後に行われることもあり、自分が立候補するかギリギリまで悩んだ結果
後悔したくないと思い気づいたらステージで演説していた。
簡潔にいうと
やらないで後悔するよりは、やって後悔するほうクルーズにしませんか
このような内容で演説したら拍手が起きていた。
しかし、大阪のピースボートセンター出身の組織票に負けてしまった。
クルーズに乗船する前から団長をやりたいといってたらしいので結果的に良かったと思っていたが
僕はこの時に大失態を犯していた、、、
*ピースボートセンターとは?
船乗る前にポスターを貼って割引を貯められる制度があり僕も4000枚くらい貼ってクルーズ代金無料で乗っている。
誕生日月を間違えていた
基本的にノープランで行動した時はやらかす時が多いタイプである。
僕の確認不足であった。
失敗は誰にでもあるから謝ったら解決するかと思ったら違っていた。
僕が立候補したことで私の票が流れてしまったからやり直したいという子が現れてしまったことだ。
事務局からしたらやり直すことはできないという。
自分きっかけで迷惑かけてしまったのでどうしようかと思って僕は運動会に参加しないと決めた。
しかし、運動会は一週間もかけて準備をするので僕にとっての逃げ場という意味で本格的に映像チームに参画することになってしまったという表現が正しいと思う。(当時の心境として)
これをきっかけに本格的に撮影と編集をしていた。
船の上のプロジェクト
僕が映像をつくることのおもしろさに再度目覚めたのは逃げ道からの行動だった。
国籍も喋る言語も違う人々が、3か月一緒に暮らす船の上。
次々に現れる素晴らしい景色や、訪れる国の国民の熱い活気。
映像におさめないと、ものすごいスピードで流れて行ってしまう毎日。
僕はどんどん映像を撮ることの面白さにハマっていた。
何よりも、僕の映像を船内で上映するとみんな国籍を問わず喜んでくれる。
お詫びとして作成した青団のCMが周りにも高評価でテレビ局にいた時の経験を活かせるのかと自分でも驚いていた。
しかし、クルーズ終盤にかけて僕は下船したら映像の仕事に戻るか悩んでいた。
車椅子のドキュメンタリーをきっかけに映像制作をライフワークとすることを決意
映像チームで乗船していたスタッフさんから最後にやりたい企画で映像作らないかと提案があった。
映像チームに所属していた子たちが福祉系のお仕事をしていたこともあり
車 イ ス 乗 船 者 の 視 点 か ら 見 た 船 旅 のドキュメンタリーを制作をすることになった。
しかし、僕はこの企画に乗り気じゃなかった。
自分の父親が車椅子で生活していて気持ちの整理がついていなかったからだ。
企画は進み一部の撮影のみ参画することになった。
クルーズ終盤に乗船者を集めて上映した。
気づいたら涙が溢れていた。
そして感想を伝える機会があって初めて家族のことを人前で話していた。
上映後も涙が止まらず気づいたら周りには一緒に映像を制作してきた仲間がいた。
この文章を書いていた今の自分も涙が出ていたので
あの時過ごした時間と映像チームのメンバーには心から感謝している。
人の心を動かす映像を自分も作ろうとこの時決意した。
僕がnoteを通して伝えていきたいこと
普段動画でものごとを表現する僕は、文章を書くことに慣れていない。だけど、文章を練習することによって、動画の表現に深みと幅が出れば良いと思う。
僕のnoteを読んでくださってありがとうございます。
これから成長していく僕のnoteを、応援してもらえたら嬉しいです。
そして、ぜひつながって、一緒に何かができたら幸いです。
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