境界線

それは不思議な風景だった。
いつも座っている居間のテーブルから見える一面緑の視界の一角、ヒメシャラの鉢の根元から、何か艶のある棒のようなものが、左右に大きく振れながら上に向かって動いている。

そのねっとりとした皮のような艶を帯びたみた目から、とかげ?と思ったがとかげにしては大きすぎる。
一呼吸おくくらいの間があり、蛇だ、と脳が認識する。
蛇がヒメシャラの木を上にむかってがくがくと登っている。枝に巻き付いてスルスルと、ではない。ぐらぐらと、揺れながら上に向かっている。

一番上まで登りきると枝に体をのせて心地よさそうに、じっとうごかなくなった。ただ、のんびりしていただけかもしれない。
不思議なこともあるものだなぁ、としばらくそれを眺めていたが、あ、と思い当たることがあった。

ちょうど1週間前の月曜午前中、妹から連絡があり、父が、施設で脳梗塞になり救急車で搬送されている、と連絡があった。すぐさま仕事を切り上げ病院へ向かった。

父は施設にいる間は、フラストレーションの塊だった。楽しいことは何もない、といつも文句ばかりをいっていた。
ご飯はおいしくない。友達もいない。ケアマネさんは云々、あの人はどうだああだ。電話をかけて、調子はどう?と聞くといつもコンプレインのオンパレードにうんざりし、別のことで毎度けんかになり、次第に電話をかける手もとまってしまった。

そんな父が倒れて、緊急手術を受け、ICUに居るという。
ICU内の個室で執刀医の説明を聞いている間、ガラス張りの部屋から大きな言葉ではない叫びや唸るような吠えるような声が聞こえてきて、まさか父が?と怖くなる。痛いの?何で叫んでるの?手術は成功しなかったの?怖くて心臓がばくばくしてどうしていいかわからなかった。

この感覚、母が亡くなる直前の2週間前、担当医から病状を聞いた時と同じだ。「この間、検査入院した時に見つかった脳にあった小さな腫瘍が、4センチほどになっています」と。心臓が踏みつぶされたようになり呼吸が止まりそうになった。

それからの毎日が、朝から晩までこの心臓がきゅうっとなった状態が続いたことを、その到底父の声と思えない叫びを聞きながら思い出した。


父が倒れたのは、小田原にあるギャラリーへ、ある彫刻家の個展を見に行った、その翌日だった。
あの時の私と、今の私。あちら側とこちら側。二度と戻れないあの時までの世界。
個展のテーマは「境界線」

境界線が最近なぜかとても気になっていた私にとって、その個展のテーマが偶然にも「境界線」だったことを当日会場に向かう直前に知り、その偶然に興奮しこれは何かのきっかけ、かもしれない、と勝手に思っていた。少しぞわっとした。

いくつかの境界線の中でも私が特に気になっていた境界線は此岸と彼岸。三途の川のあちら側とこちら側。

もともと私は東野物語にでてくるような河童や座敷童、西洋だと妖精だったりゴブリン?だったり、そういった人間が人間と区分けしている生き物、いや生きていないもの?(意識というのか) が小さい頃から大好きだった。心おけるあちら側の世界。

境界のすぐ向こう、こちら側から見えるあちら側が好きだった。
何か見えない線がひいてあるとすれば、その線からずっと遠くはなれ生活する都会生活者、人間的感覚に型押しされたものとは真逆の、その線のすぐ際でうろうろしている人間だった。

なので、蛇がひめしゃらの木の上で昼寝をしている時に、ピンときてしまった。
父がきているな、と。蛇の姿を借りて、会いにきているな、と特に不思議とも思わずそう思ってしまった。

あるとすれば、そのヒメシャラの木を境にこちら側とあちら側の境界があったのかも、しれない。

そのうち、べビは十分のんびりしたのか、ゆっくりととなりのアカシアの木に移動し、そこから一面緑のあちら側へ帰っていった。

ほどなく大つぶの雨が音をたてて降り始め、台風が近づいていた。

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