ひょんなことからメルボルンに旅した話と記録(始める前にちょっと番外編)
そういえば、旅から帰ってきて、色々忘れないうちに、と書き始めてしまったけれど、今回の旅行は、行く前にやっぱり、今旅行とか行くべきなのか、やめとくべきなのか、考えたんだ。
世界のあちこちでまだ戦争やジェノサイドが起こっていて、お正月から能登で地震があって多くの人が亡くなって、「こんな時に旅行ってどうなのかな」って一緒に行く妹とも話したんだ。
それでも私たちが今回エイやっと行くことにしたのは実はいくつか理由がある。
まず、妹の家には猫がたくさん(7匹かな)いて、そのこたちが重篤な病気だったり具合が悪い最中だったりする時は何日か家をあけたりすることはできないので、泊りの旅行や海外には行けない。
彼女は長らく病気の猫を看取ったり被災地の猫を受け入れたり、猫ホスピスというブログを書いて自費だけどそれをまとめた本も書いたりしているほどいつも重い病気のこを日常的にお世話する毎日だったけど、今はみんな元気で家をあけても彼女のだんなさんが見てくれて猫たちは寂しいけど、大丈夫な状態で、貴重なタイミングであること。
私も昨年、ここに越してきた時は20年弱長らく家族として暮らした猫が重い膵炎に罹っていたので、旅行なんてぜったいありえない状態だった。
ここ数年で父と母が亡くなって、うちの大切なミーとグーもなくなってしまってから、自分が生きてる残りの時間の使い方をよく考えるようになった。
残りの時間があとどのくらいあるかは神のみぞ知るところだけど、人っていつどうなるかわからないし、元気だったけど数年たったらぜんぜん動けなくなっていたりする、なんてこともあるんだよな、今こうやって元気に動き回ってとりあえず痛いところもなく過ごせている時間はひょっとしたら、っていうか、めっちゃ貴重なんだよな、と。
なので終活といったら、妹にそれは終活じゃないでしょ、と笑われたけど、いつかやろう、と思っていた色んなことは、すぐやることにした。
旅行も行ってみたいところやそうじゃないところ、どちらも機会があって、休みがとれればどんどん行くことにした。
というか旅行については結婚してからほんとにがまんしていたから自分を取り戻すためにも諸々の状況がゆるせばどんどん行くことにしたいと思っている。
イスラエルとパレスチナの戦争も、「いや、でも私らには何もできないから」と思うことだけはやめようと、自分ができる範囲でできることをして、被災された方々はほんとうにつらく厳しい状況だけれど自分が暗い部屋で鬱々とそのことをただ考えていてもつらい人たちに魔法のように日常が戻ってくるわけじゃないから、私が今できることをしっかり考えて自分は自分の日常を全うしていくことが最終的によいのだ、というところに着地したのだ。
そして何度か計画されては何度かキャンセルされ、ようやっと年が明けた2024年の2月にまったく予想外のメルボルンの地へ旅することとなったのだ。
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