なぜ君はヴィーガンなのか(黎明期の回想からの今)
動物性の食材を使わない食生活に変えてみよう、と思いたち、はじめてから約15年が経つ。
当時、毎日新聞社ビルで働いていた私は、ビルの1階にあった流星書房という本屋さんのとある一角に、休み時間になると足しげく通っていた。そこには数は少ないながら、質の良い料理の本が厳選されて置いてあり、どの本も素敵で見るのが楽しみだったのだ。そのなかには当時はめずらしかったビーガンやマクロビの本もあり、今思えばそれはほんとにセンスの良いチョイスで、私はそれをわくわくしながら次から次に手に取って(立ち読みとも言いますね・笑)自分の中でまたそれらをチョイスして買える範囲で購入し、すごい勢いで動物性の食材を使わない料理やお菓子を作りはじめた。
そこには健康によさそう!やダイエットやそういった理由は全くなく(今もないけれど汗;)なんだかおいしそうで、綺麗で楽しそう、その上白い砂糖やバターや卵を使わないお菓子や、肉を使わない料理って、サイコーじゃない!?と思っていた。
もともと料理は得意で家に人を呼んでふるまったり普通の料理はおいしく作れる土台はあったが(まだ当時はお金をいただいて職業にする、には至っていなかった)元来実験好きのヲタク気質。
果たして動物性の肉や卵を使わずに料理やお菓子を作ってどうなのか、という興味も多々あり、家庭内で作っては食べ、作っては食べさせしていたが、結果から申し上げると『なんだ、卵やバターやお肉いれなくてもぜんぜんおいしい料理できんじゃんっ!!』とあいなったのだった。
当時ヘビロテして使っていた本が、カフェ8というヴィーガン・カフェの奔り、のカフェエイトのVEGE BOOKシリーズ。
あとCHAYAマクロビの浅場康司シェフのマクロビで作るデリとスイーツの本だ。
これらのレシピは黎明期にとても良く作り、カフェエイトの本は海外のレシピ本のようでデザインも素敵でわくわくしたし、CHAYAの本はマクロビオティックといえど、浅場シェフはもともとフレンチのシェフなので、レシピはどれもフレンチテイスト。前菜からメインまで多種多様にあり今でも作っているものもいくつかあるほど当時愛用していた。
最初に手にとったこれらの本の選択が正しかったのか、おいしくないものが意図せずできあがってしまい志半ばでやめてしまうというようなことはなかったが、これ以降、いわゆるマクロビやヴィーガンのレシピ本を買い、そのレシピを参考にして作る、ということはほぼなかった。なぜなら、別の展開が待ち受けていたから。(というか自分で突入していった、かw)
その後、私はひょんなことから、あのフレンチの巨匠、ジュエル・ロブション氏のレシピをヴィーガンで作る、ということに傾倒していく。(この話はまた別の回で)
ちなみにうちの夫は一人暮らし歴もまあまあ長く、結婚前はHOT MOTTOのようなお弁当屋さんで唐揚げ弁当や焼き肉弁当を買って普通に食べてた普通の人だ。お母さまは丁寧な料理をする人なので、おいしいものを判断する味覚はおそらくもっている。
私が動物性の食材を使わずに料理をするようになってから、ものたりない、とかまずい、とか肉食べたい、とかは一回も言われたことがない。私自らもぼそぼそしたいわゆるおいしくないベジ料理は作らないように(食においてはエピキュリアンなので、作れない、というべきか・笑)していたが、動物性食材を使わない料理を作るにあたり、ある一つの自分的セオリーが最初から存在していたからかもしれない。
「豆腐ハンバーグは豆腐を丸めたもので、ハンバーグではない」
なんのこっちゃ、笑 だが、この言い方はほんのいち例、として、要は何かかわりに使う食材が「私豆腐です!」と見え隠れするようなものはハンバーグではなく、丸めた豆腐だ、ということなんです。笑
余計にわけがわからないけれど、そういうことなんです!
「フェイクやモックを作るならば、もとの料理を越えるくらいおいしくないとね」が信条なわけです。
もちろんそれは、これからヴィーガンをはじめてみよう!と思っている人に押し付けるものではなく、そんな感じでヴィーガンの食事と付き合ってきた、というわけなので、従来の動物性たんぱく質では難なくできる料理も、それらを使わないことではまるでうまくいかない、なんていうこともあり。これまでそんな実験に明け暮れた日々でした。海外と同じようにプラントベースのお肉やチーズがスーパーで普通に買えるようになる現在までは。
さて、話を戻して、自分が作りはじめたビーガンの料理が家庭内で評判が良くても、万人受けするものなのか知りたくなり、職場の同僚にヴィーガンのお菓子を焼いてはもって行き、食べさせては感想を聞いてみたりしていた。
「おいしい!」「これ、お金出して買うからもっと作って!」と言われて、そうか。自分ではおいしいと思ったけれど普通の人にもおいしいのだな。よしよし。であれば、もうこっちに切り替えよう。そうしよう、となったのだ。
そんなこんなで、「お肉(含め動物性食材)食べなくてもこんなにおいしくご飯やお菓子が食べれる、っていう選択ができるんだったらこっちのほうが断然いい!」というなんだか漠然とした信念(そんなものあるのか・笑)で15年前くらいにはじめたけれど、ほんとに、この基本の一本筋は今もまったく変わっていない。
いつも何かを深く考えたり、いやいやまてよ、でも大丈夫なのかな?とかそういうことはあまり考えない性格である。
ただ、もう少しで2022年にならんとする、COP26がUKグラスゴーで開催され、気候変動がもう人間の生活にのっぴきならないことをつきつけられている今、「なんとなく、そうしたほうがいいと思って」直感ではじめたヴィーガンの生活は、今となってはアニマルウェルフェアだったり他にもいろんな要素はあるが、確信をもってこの選択をしてよかった、と思っている。
実のところ環境への負荷からヴィーガンの食生活にする、という事に関しては後付けだ。どのみちいつかは今の食生活になったと思うけど、よくわからないけど確信を持って15年前にはじめてみた自分、えらいぞ、とも思っている。笑
プラネタリー・バウダリーの9つの項目のうち、気候変動については、実は既に閾値を越えている、と言われている。
工場畜産における森林破壊など温暖化への影響は、日本ではまだまだ多くの人に可視化されていない状況であるので実感はないと思うが、グローバルにみたら、政治や環境意識が進んでいる国の若者たちには最大の関心ごとだし、地球にとったら、生きるか死ぬかの瀬戸際だ。(前述、閾値越えている、という話もある)
普通のお肉と同じように使える食材も、海外に比べれば、その品数や流通においてはまだ少ないけれど、最近はそのチョイスできる品数は以前に比べれば段違いに増えた。過去、国連気候行動サミットに出席した環境相が気候変動対策は楽しくクールにセクシーに(orz)とか、石炭は温暖化の大きな原因の一つであるがどのような対策を考えているか?と質問され「減らす」(orz orz)とだけ答え具体策が一つも言えなかった事とかとか、大臣がそんなヤバいレベルであることを露呈してトップであるべき人からして恐ろしく環境リテラシーが低い国であるに日本。今回のCOPでは2回連続で化石賞をいただいたりしちゃった日本。コロナ禍に給付金ではなく、お肉券を配ろうとしていたくらいの日本でさえも、動物性食材の代替品に関しては最近目をみはるほど多種多様に発売されるようになった。
15年前、いろんな代わりのものを自分で作らなくてはいけなかった時から、今、自分さえ選択すれば普通にお肉を食べるのと変わらない食生活ができる時代になってきたのだ。
ヴィーガンの話だと思ったら環境問題!?と思った方、いらっしゃるかも。
でもね、例え最初のとっかかりが違ったとしても、ヴィーガンで生きているってことは、今の気候変動やアニマルウェルフェアとは切っても切り離せない状況になっているわけで。食べることも、着ることも、生活することも、全部つながってる、と最近ほんとに実感することが多いんです。
それに気づいたか、まだ気づけてないか、いつ気がつくか、がこれから生きてく上でキーになってくると思っています。
私自身は、毎日の食を最大限楽しむ、ってことに関しては全く変わっていないのだけれどね。
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