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夢追い人は愚か者か?
Here's to the fools who dream.
夢見る愚か者たちに乾杯を。
私の人生に少なからず影響を与えた『LA LA LAND』という映画の有名な台詞である。私のからだには、このことばが文字通り刻み込まれている。
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人生は夢だらけであると椎名林檎は歌ったが、人生に夢を求め続けるのは愚かで哀れな罪人の所業であるとDamien Chazelleは表現した。
ただ、そこに在るのは悲哀でも侮蔑でもない。
この台詞には続きがある。
Here's to the fools who dream
Crazy as they may seem
Here's to the hearts that break
Here's to the mess we make
夢見る愚か者に乾杯を
クレイジーだと思われたとしても
壊れてゆく心に乾杯を
私たちが作り出す混沌とした苦しみに乾杯を
彼は、夢を追い、もがき苦しむ愚か者の様を知りながら、それを称賛しているのだ。夢追い人の人生を真っ向から追悼し、肯定しているのだ。
そこにあるのは、厳かな祈りである。
なんと無責任な!と思いつつ、私はこの泥臭い表現にこの上なく傷つき惹かれている。その痛みを蕩かすためか、あるいはその痛みを快感に変えるためか、いずれにせよ己の美学における自慰行為として、このことばは私の左腕に消えない印として刻み付けられている。
たかが21年しか今世を生きていないけれど、このことばは今の私にとって生涯をかけた誓いであり、戒めであり、苦しみを美しさに変える決意なのである。
ところで、タロットにおける「愚者」のカードは、所謂単純な愚か者としての意味とは異なる。
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このカードは、正位置では「自由、無邪気、天真爛漫、可能性、発想力」を、逆位置では「軽率、わがまま、落ちこぼれ、焦り、注意欠陥」を表す。
カードに描かれている男は、目的を持って歩みを進める旅人であるとする説と、完全に無計画な放浪者であるとする説が存在する。また、この男が後ろ歩きをしているようにも見えるのは、持つエネルギーが無意識的かつ一定の方向性を持たずに自由気ままに放たれていることを表すと言われている。
両説とも、男の若さは未熟さを、足元の犬は前進を表すこと、そしてこの男が自分の目の前に崖が迫っていることに未だ気づいていない状況であるという解釈は一致している。この男——すなわち「愚か者」がこの先崖から転落するか、あるいは踏みとどまるかは、その先のカードの使い方次第である。
愚か者とは、真理を知ろうとせず欲望と煩悩のままに生きる、頭の鈍いバカモノを意味するのではない。自らの精神世界を内省し、他人がその危険さや無意味さをどんなに諭したとて聞き入れず、純粋に心躍る方へ歩みを進めるオメデタイ存在なのである。
そのエネルギーは、一歩踏み違えると二度と生きて戻ることがないというアンバランスさを秘めており、だから人は其れを負に愚か者と呼ぶ。しかし愚か者自身は、其処に安住せず自己を追求して真の自由を求めるのだ。
論理武装が是とされる世界を自ら選びながらも感性の赴くままに息をしたいと願うこと、レール化された人生を歩みながらも唯一無二の物語創りに憧れることは、正に愚か者であろう。それはすばらしい称号だと思う。
重要なのは、口先だけ達者で行いが伴わない唯のバカモノに突き進まないことだ。夢追い人は、夢語り人ではないから真に愚か者なのである。
ミアもセブも、夢追い人としてその奔放なエネルギーの発散を互いに吸収して糧とし、各々が愚か者として歩んでいく。Damien Chazelleは、そんな2人の物語をロサンゼルスというスターの街に描いた。
そこには確かに、尊敬の念があると、私は信じる。
ブッダは、もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者であると述べた。
愚か者として安住しない夢追い人になるために、むしろ愚者だと笑われることを快感に、人生は夢だらけだと信じて、酔狂な人生を創りたいものだ。
私のタトゥーには、そんな祈りが込められているのである。