規則的な波の音を聴きながら海辺を歩き、時々立ち止まって貝殻を拾う。 形の残っている巻貝を耳に当てて潮騒を感じてみたり、薄い桜色の二枚貝を陽に透かしてみたりする。 そうして厳選したいくつかを家に持ち帰るのだが、蛍光灯に照らされた砂を被った貝殻は、見つけた時よりも色褪せていて、なんだか余計なものを持ち帰ってしまった気分になる。 文章を書くことは、貝殻探しに似ていると思う。 ビジネスメールはさらさらと書くし、5年間毎日つけている日記も手が止まることはないのに、日々の思索をここで
と音がする。 次々と入れ替わる人波を横目に、ヘッドフォンの電源を入れる。 立ち上がりの合図とともに、世界は唯の色彩と、それから体の芯に響く規則正しい電車の鼓動に飲まれていく。 ぱたん。 日々に飲まれて積み重なっていた本や書類の山にふと目を向け、一つずつ手に取っていく。 見覚えのないタイトルの啓発本とアートについての本が、ぱりっとした紙のまま無造作に積まれていた、気がする。 ぱたん。 艶やかな墨汁がゆらゆらと揺れ、僅かな街の灯りをきらりと跳ね返している。 潮の匂いに乗って
一際目を惹く人がいる。 しわだらけの服を着て、白髪混じりのくしゃくしゃの頭を垂れて、人もまばらな電車の隅で、背中を丸めて座っている。 灰色っぽく年季の入った古びたパソコンのキーボードを物凄い勢いで叩いている。 息つく間もないとはまさにこのことだ。 好奇心で、画面をチラッと見てしまう。 原稿用紙のようなフォーマットのページに、明朝体の文字が落ちている。 彼は小説を書いていた。 周りの人のことなど見えていない。 タイピングの音が電車にバチバチと響いている。 溢れんばかり
青い草木に囲まれた道の先に見えた、きらきらとした海の光。挽き立ての珈琲と飲みかけのビール、物静かな音楽家の優しい笑顔と燻製の香ばしい匂い。彼が触れた鍵盤からは、ころころとした宝石のような粒揃いの音霊が零れ落ちる。楽譜立てに置かれた眼鏡は、海を反射している。 身体を伝う心地よい汗と、世界を抱えきれない愛で慈しむ人の、あたたかい言葉。マフラーをぐるぐると巻いても震えて上手く話せなかった夜、頭上には雲の切れ間に、凍えそうな星空。ベールのように街を包み込んだ霧雨を吸い込んで僅かに香
夕方の柔らかい陽射しが波間を染めている。 無機質なモノクロームの街並みから不意に現れた無限の瞬きは、思わず目を細めてしまうほど眩しい。光に包まれてぼんやりと霞む水平線は、限りなく淡い空色と、昼の名残を残した白に近い優しい橙色に溶け込んでいる。近付くと潮臭い波飛沫の香りがする湘南の海は、遠くから見ると宝石箱のように穏やかに煌めいている。一瞬で生まれて消える光の粒が跳ねていて、黄昏時にはまだ早いことを告げている。けれど、桃色に染まる水平線の近くの波間は、長く冷たい冬の夜の訪れを
最近気づいた、自分の好きなところ。 人に優しくあれるところ。 どんな人に対してもコミュニケーションを怠らないところ。 自分と違う世界に生きる人間に興味を持てるところ。 新しい出会いに胸をときめかせられるところ。 美しさに敏感なところ。 日常に落ちている詩的表現を無意識に拾い集められるところ。 音楽が好きな自分を大好きでいられるところ。 芸術における未熟さを突き付けられる経験を、自ら取りに行けるところ。 自分で自分の機嫌を取るところ。 身近な人の前でも、負を表に出さないと
幼い頃、長生きをすることが幸せだと思っていた。 早逝する著名人のニュースが話題になる度に、「まだこれからなのにね」と惜しげに呟いた大人の姿が印象に残っているからかもしれない。 「生きているだけで偉いんだよ」と慈しみ育ててくれた両親が、これから先の人生は当たり前に明るいのだと信じさせてくれたからかもしれない。 自己肯定感が高く、何事にも自信がある。 自分の伸び代と、周りにいる人の善良さを、ピュアに信じている。 「タイムマシンがあったら、過去と未来とどちらに行きたい?」という
ふと気が付いたら、知らない駅にいた。 先週は旅続きだった。山中湖にダイブして絶叫アトラクションに乗って、サウナに入ってBBQをして、歌いながらドライブをして、毎晩のようにお酒を飲んで、大切な友人たちと夜通し語った。 連休明け。 脳に張り付いたような眠気の薄い膜を見て見ぬ振りをして珈琲を飲んで、丸の内で一日Excelと睨めっこして、やっぱり金融の世界って面白いなと思えたことに少し嬉しくなって、そのまま夜は後輩とワインを飲みながら哲学と音楽の話をして、それが久々にあまりにも楽
大学生活最後の夏、ナイル川の夕陽を見た。 日中は息が詰まるほどに気温が上がり砂埃が舞うエジプトは、黄昏時を超えると急速に涼しくなり、やがて暗く冷たい静けさに包まれた夜が訪れる。 昼と夜、光と影、生と死の狭間にナイルに浮かぶ茜色の恒星は、その穏やかな陽光が照らしている全ての生きとし生けるものを優しい眠りにいざなう真珠のようだ。 ひたひたと忍び寄る闇に染められてゆく草木の影を肌で感じながら、何千年も昔、同じようにナイルの温かさと冷やかさに包まれながら、この地で生き抜くことを選び
長らく見て見ぬふりをしていた昔書いた歌を、また音楽を創ろうと決めてから、恐る恐る聴き返すようになった。自明に自殺行為である。 思い返すは大学2年生。 忌々しいウイルスに振り回される生活に終わりが見えない中で、日々の刺激を全て音とことばに昇華させる人生に意味を見出そうと、文字通り苦心に苦心を重ねた日々だった。 そんな時代をともに過ごした音楽仲間とは、もう1年以上会っていない。理由の半分は互いに目指す未来が散っていたこと、もう半分は私が彼らとの日々を自ら手放してしまったことに
幼い頃、数年間ロンドンに住んでいた。 生まれてすぐに越してから、物心ついた頃には日本に戻っていたため、残念ながら記憶には殆ど残っていない。 あれから約20年、久々に訪れたロンドンで、当時の私の子守をしてくださっていた方と、感動の再会を果たした。 歌手であり女優であり、言語の先生である彼女は、英語がネイティブでない私にも聞き取りやすい英語で話しかけてくれる、太陽のように明るく優しい方だ。私の母と近い年齢だが、母のようなおおらかさと賢さを具えながら、政治や宗教の話まで明確にス
藤井風は、私が尊敬してやまないアーティストの一人である。 オールジャンルで好きなアーティストがおり、基本的にその時の気分に合わせて各々を聴き分けるというスタイルで音楽に触れる私だが、藤井風の創る音楽は、どんな時でも必ず毎日一曲は聴いている。 それほどに私は彼の世界が与える刺激の虜であり、彼はこれから先も私の心身を形作る大切な存在であり続けると思っている。 旅先にて、ロンドンからスコットランド北部のインバネスまで、寝台列車で7時間半かけて移動した。夏も盛りの時期にもかかわら
Here's to the fools who dream. 夢見る愚か者たちに乾杯を。 私の人生に少なからず影響を与えた『LA LA LAND』という映画の有名な台詞である。私のからだには、このことばが文字通り刻み込まれている。 人生は夢だらけであると椎名林檎は歌ったが、人生に夢を求め続けるのは愚かで哀れな罪人の所業であるとDamien Chazelleは表現した。 ただ、そこに在るのは悲哀でも侮蔑でもない。 この台詞には続きがある。 彼は、夢を追い、もがき苦しむ愚
瞬間の美が好きだ。 ずっと大切にしている美学である。 瞬間の感性の揺れ動きと、触れようとするとたちまち消えてしまう美しさに、たまらなく惹かれ、いつの間にか病みつきになっている。 瞬間の美、とは何か。 私のことばでそれを語るには、このnoteの意義から説明する必要がある。 幼い頃から、綺麗だと思ったことばを編みこんで、文章を綴ることが好きだった。 その過程には苦悩も焦燥感も怠惰も何もなく、ただただ感性のままに言の葉を組み合わせていたら、いつのまにかまとまった文章が完成し