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主語を「私」から「私達」に変え☆魂のミッションを知る


YouTube版
https://youtu.be/VwdjHpx1RGg


本当の自分や
本当の自分がしたいことがわからない。

それに向かっているつもりなのに
モヤモヤしてたり
いまいち充実感がない。
または疲弊している。

そんな時には
主語を「私」から
「私達」に変えてみない?

そして、自分の「魂のミッション・ダルマ」を
知ろう
というお話です。

またこれは
この世界が
「調和」していくためにも
必要な視点だと思ている。

☆ここ最近、水瓶座の時代が本格スタートということで
水瓶座らしい時代って?ってことで
記事にしたりしてます。

水瓶座は、全ての星座1といっていいほど
「自由」で、「個」を尊重しますが

とはいえ視点は「私達」

12の星座の最初の牡羊座は「自分」という領域ですが
11番目の水瓶座は「普遍的」な視点からの「個」を大事にする。

まさに「個の繋がり」という視点がある。

☆本当の自分のしたいことや、大事なことが、
自我のもつ仮面の声や、外側の概念に掻き消されがちな今の人類。

ちょっと前は、海外へいくバックパッカーや
インドなんかへ自分探ししにいく人は
夢見がちな、自由人だと思われたもんです。
精神世界の探究?現実逃避ですか?って。

でも、
その現実社会というものが、
いくとこまで いっちゃった昨今。

今まで信じていたものにすら、ことごとく
ファクトか?フェイクか?に
踊らされる人々。

そして、なにより
「自分に違和感」をありありと
感じ始めている人が増えている。

「自分は何がしたいのだろう?」
「自分の天命って?」
「自分にとって大事なことは?」

これだ!って見つけて、やってきた。
それを信じてみたものの
「あれ・・・何か違う・・」

サインとしては、心が疲弊してたら
多分それは違う。

自分のハートの奥から
夢中・三昧状態になれるものは
いくら没頭してても
疲弊しない。

その時エネルギーはどんどん
元氣として潤沢に湧き出る。

「大元の自分」にちゃんと繋がれているから
そのソース・源から「氣」は沸き起こる。

もちろん、肉体は疲れますけど、
そんな時には素直に休めば
慢性化の持病なんかにはならない。

または、肉体の不調は
心のサインなわけなので
素直にそこにフォーカシングすることで
軌道修正はおこなわれる。

☆本来の自分でいれていない時
そのサインは
ちゃんと身体にも起こる。

さわやかな疲れと
心まで疲弊する疲れの違いは

誰しも感じたことがあるハズなので
これはバロメーターにつかえる。

後者ではれば
エゴちゃんの要求に
いつまでも振り回されている可能性がある。

誰かに認められるためだったり
みじめじゃない自分を保つためだったり
愛されるためだったり。

煩悩を満たしたいっていうことだって
そこはまだ表面的な話であり

なぜ、その煩悩が起こるのか?
を、つきつめていけば

サットチットアーナンダという
自分の
存在(サット)チット(力)アーナンダ(愛)
の枯渇感からくる恐れ。


「自分は、どうしたいのか?」という
本当の自分の声はかき消され

その恐れからの発想の
「偽の使命感」によって
この人生・身体は頑張らされてしまう。

何者かになろうとしていることに
まだ
気づいていない状態。

それが自分だと思い込んでいる。

でも、「あれ?」っていう違和感を
気づき始めている人達がいる。

☆そんなとき
これからの水瓶座の時代らしさを参考に
主語を「私」から「私達」という他人称に変えてみるのは
どうだろうか?

というのが
今日の本題なのです。

どうしても「私」という視点だけに立つと
分断・乖離した視点になってしまう。
人は繋がりの中にいるので、この視点には限界がある。

かといって、自分以外の「みんな」優先ばかりでは
自分はさて置きにして、自己犠牲してしまうことがある。

「私達は、どんな世界に在れたら幸せだろう?」
まずは、その視点に立ってみる。

視点を「ワンネス」にする。

人というのは、繋がりの中に充実感を感じる。
それは、人との繋がりだけではない。

人によっては、自然との繋がりを通して
全てと繋がっているワンネスを体感するだろう。

例えモノづくりで、工房に一人籠っている人であっても
その作品を通した繋がりが起こるわけで
何にも繋がっていない人などいない。

そして、もっといえば
それぞれの繋がりを
もっともっと辿っていけば
その先には根源的で普遍的なものに
結局は繋がっている。

私が最近思うのは
例えば自然派を意識する人は増えているが

自分達の身体や生活が安全であるためという視点だけで
自然なものを取り入れることは
本当に自然と繋がった生き方だろうか?

ただ、自分が安全でいたいだけの人間のエゴを
時に感じることがある。

あれはダメ、これはダメ。
それが、全体のための視点ではないことも
ありふれている。

「工業」が盛んになったことが
この自然を破壊しているという視点があるが

実は「農業」の普及だって、この自然界を壊してきた。
だって、人間たちの食べ物のために
田畑を開拓して、自然の土を勝手に沢山
耕してしまったのだからね。

自然界の動物や虫は、そこまで自然をいじらない。
自然は自然のままだから、自然。


じゃ、いまの「無為自然」にいれない私たちは
自然じゃないのか?

いや人間には
この地球に何かしらのお役目もある。

だって、この世界に肯定されていないものは存在できない。
ということは何かしらの意図が働いている。


今、時代の変わり目にきているけれど
あきらかに人の意識の軌道修正の時。

この時を選んで生まれてきた私達。
それには、大きな魂の意図があるはずだ。


☆それを自分で理解していくために

まず
「私たちは、これからどんな世界をクリエイトしたいのか」
という「私たち」という視点に立ち

その世界をビジュアライズし

「じゃ、その為には私は何ができるだろう
何がしたいだろう?」
って見ていくと

いわゆる自分の
「天命・ダルマ・魂のミッション」
みたいなものが見えやすくなる。

言葉にすると、なんか仰々しいけれど
ただ「本当の自分が、それを何の為にするのか?」
っていう

それがfor what?であり、動機だ。

そのための細かいツールは
時に変わってもいいと思う。

段階というフェーズが変われば
持ち場も変わる。

これは、仮面のエゴの子が
自分の存在や愛や力を
認めてもらおうとしてやることではなく

本当の意味で
「全ての喜びのために自分が何が出来るのか」の視点に立つのであって

そして
「結局は、それが自分の喜びである」ということを知るため。

ダルマとは、そういう視点がある。

ちなみに、ダルマとはサンスクリット語の
いわゆる今世の自分の魂の使命のことだが

ヴェーダの教えでは
人生の目的のひとつに
この「ダルマ」を満たすこととある。

それをしていないと
意識はモヤモヤするのだ。
魂はそれがしたくて、この世にきて人生やってんのに
やれてないんだから、そりゃモヤモヤするし
そのままだと悔いを残す。

あの、目標達成したら片方だった目玉を両目に書く
ダルマの語源である。

多くの人が
そういう視点で
自分も、全てのことも
どちらも大事にできる視点にたてたなら

世界の意識は変わっていくことになる。

一人一人の調和があってこそ
全体の調和は生まれる。

私達は、個を尊重しながらも、繋がっている。
この地球という母船のオールを、みんなで漕いでいる。

それぞれ、その共同創造の参加者だ。

それを徹底的に楽しめるくらい
私達には心の底から体現したいこと
「ダルマ」がある。

自分のエゴを満たすことより
もっとそれは
エキサイティングなことだ!

まずは、この世の「私たち」という視点にたち
「宇宙の私の声を聞け!」ということで

自分自身に繋がって
全てと繋がって
私達は日々を、TTTに生きることができる。

魂がやりたいことやるんだから
それは楽しいのだ。


☆自分の「偽の声」に振り回されている
自分自身に
気づいていくことも

サットチットアーナンダの誤認知に
気づくことも

本当の自分に繋がるための
重要な気づきですが

いわゆる誤認知のままの
仮面の子、アダルトチルドレンも
もれなく、多かれ少なかれ
誰にでも潜んでいる。

アダルトチルドレンも、他人事と思っている人ほど
気づいていない。

驚くほどに、その子たちの発想が
小さいころから
自分の「スタンダード」になっているので

あまりにも
「当たり前」になってしまっているんですね。

そして
本当の自分を解放させまいとする。

でも、それは手放せる。
しかしまず
気づかないことには、手放せない。

精神分析や、内観ワークなどで
手放しへのプロセスを踏むことが出来ます。

2月19日は
グループセッションにて
月の欠損とアダルトチルドレンについての
内観ワークをしていきます。

お時間の都合が合わないかたは
アーカイブによる動画視聴も可能ですが

お申し込みは
リアル参加の方と同じく18日の23:59で
締め切りになります。

詳細はこちら
https://veena1.peatix.com/

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