【カノッサの屈辱】恋愛ゲーム史(1979~1996) 土器メキと中央集恋体制の確立(3)
[これまでの恋愛ゲームや美少女ゲームは、主に生殖行為を最終目的と定めていたためにその殆どが、流通台数のより多い家庭用ゲーム機向けではなく…]
※ こちらはpart.3です、part.1よりお読みください!
Ⅲ.中山よい土器メキ時代 《AC1987~1990》
これまでの恋愛ゲームや美少女ゲームは、主に生殖行為を最終目的と定めていたためにその殆どが、流通台数のより多い家庭用ゲーム機向けではなく、アダルト制限を持たないパソコン向けに作られたものであった。だがここに、ゲームの目的を生殖行為とせずに、「恋愛」とすることによって初めて、家庭用ゲーム機の為の恋愛ゲームを完成させることに成功した人物が現れる。
それを成し遂げた人物こそ、 中邪馬台国女王・卑美穂 に他ならない。
1987年に任天堂より発売された 「中山よい土器メキハイスクール」 は、当時トップアイドルだった卑美穂との擬似恋愛を目的とした、恋愛ゲームである。
歴史上、中山よい土器メキ登場以前の土器ょうナンパストリートにも、実在のアイドルが登場していたことが知られている。しかしその二者の構造は、大きく異とするものとなっていた。
「中山よい土器メキ」に於いて、卑美穂を唯一の恋愛対象、すなわち女王とする、ピラミッド型の支配体制が敷かれていた。このとき、ピラミッドの底辺にあたるプレーヤーたちは、唯一「電話」を介してのみ卑美穂にコンタクトを取ることが許されていた。これはゲーム中、特定の場面になると画面に電話番号が示され、指示されたとおりの番号に電話を掛けることによって、実際に卑美穂の音声による攻略の手がかりを得ることができるというものであった。
この電話こそ、かの有名な 「魏志倭人電話」 である。
当時の人々は日々、「魏志倭人電話」を通じてゲーム攻略の為の神託を得、卑美穂との恋愛成就に努めたという。
また、 「中山よい土器メキ」は、当時としてはきわめて高度な恋愛ゲーム文化を有していたことで知られている。
まず第一にトキメキハイスクールという高校、すなわちプレイヤーが卑美穂との愛を育む農地に於ける 「ラブ米」 の耕作が挙げられる。これによって、学園生活という誰しもが経験したことのある安定した舞台設定を手に入れ、さらにラブ米によってヒロインである卑美穂の人格、ときに味方になりときに邪魔をするクラスメイト、さらには恋愛プロセスのドラマ性などが、コミカルかつより魅力的に表現されることとなる。
第二に、セリフを喋る際の口パクや、会話の選択に対して喜怒を示す表情の変化など、それ以降の恋愛ゲームに於いて必要不可欠となった演出を、この時点ですでに取り入れていたことが挙げられる。
この様な高度な恋愛ゲーム文化の存在、そして中邪馬台国が京都にあったことから、「中山よい土器メキ」を現在まで続く恋愛ゲーム直属の祖先である、とする研究者も多い。ちなみにこの時代に於いてすでに、女王卑美穂との最初の出会いが 「廊下でぶつかる」 であったという事実は、まさにその説を裏付けるに足る十分な証拠であろう。
また全くの余談ではあるが、女王卑美穂の通っていた高校の名前が「私立トキメキ学園」であった事をここに付け加えておく。その後の恋愛ゲーム史に偉大な足跡を残すこととなったあのゲームの舞台との奇妙な類似性は、いったい何を示しているのであろうか?これは歴史を志す者にとって、誠に興味をかき立てられる事実である。
Ⅳ.興墳時代 《AC1991~1994》
1990年代に入る頃には、パソコンの技術的進歩によって、「先土器メキ時代」では考えられなかったほどの表現力を得ていた。その進歩と歩調を合わせるかの如く、恋愛ゲーム界に2つの新たな動きが生じる。
最初の動きは、1991年に起きた、「姫造赤井の反乱」である。
「DAICONオープニングアニメ」などで知られていた、今は無き豪ゾックスの赤井孝美の起こした美少女ゲームの乱は、それまでのゲームのあり方に一石を投じることとなる。
「父親となり娘を育て、一国の王女にする」という内容は、それまでのゲームに見られた「世界に平和を取り戻す」「悪の組織を壊滅させる」など大風呂敷なものや、「生殖行為」などの即物的な目的とは異なる、情に訴えかけるような、それまでにないカタルシスの存在を世にもたらした。また壁画に描かれた、7つの剣先を持つ刀・七支刀が示すとおり、たとえ王女という目標を達成できなくとも、娘にとって様々な将来が存在し、それらもまた相応の価値を持っているという 「マルチエンディング」 という考え方を示した。
もう一つの動きは、ある大陸からの渡来人によって示されることになる。
それが、アニメ界からの渡来人 ヤマトタケイノミコト である。
ヤマトタケイノミコトはゲーム界に、そのアニメによって培われた圧倒的な画力をもって、衝撃を与えることになる。
1992年発売された「卒業~グラデュエーション」では、高飛車なお嬢様・不良娘・ロリロリ少女・スポーティ・病弱なメガネっ娘、と個性溢れる5人の女子高生を描いてみせた。
このゲームにおいてプレーヤーは、5人の担任の教師となり、無事に高校を卒業させ、それぞれをよりよい将来に導く事を目的としていた。その進路の中には、担任である主人公との結婚というものも存在し、最高で5人全員と同時に結婚することさえ可能であったという。またこの5人の名字は、いにしえの大王として知られる、 笑の五王 、 けん・茶・注・工・ブー にちなんで名付けられた、ともいわれている。
そして、1992年末に 前方後エル墳 より発売された 「銅器ゅう生」 によって、その地位は揺るぎないものとなる。
前方後エル墳は、以前より個性的なシステムを持つ美少女ゲームを多数世に送り出していた。そんな前方後エル墳に、新たにアニメーターであるヤマトタケイノミコトの絵の技術が加わったのである。
ヤマトタケイノミコトの画力に裏打ちされたキャラクター造形と、それに呼応するかのように丁寧に作りあげられた、リアリティーのあるストーリー展開を持つ、銅器ゅう生。さらに、このゲームに於いて新たに導入されたある概念によって、恋愛ゲームは新しい時代を迎えることになる。
それは、 「時間の概念」 である。ここでは現実同様1日は24時間であり、ゲーム中の空間移動1回につき、一定の時間が経過する様に設定されている。そして、ある特定の時間、ある特定の場所へ行くことによって、主人公の同級生たちを始めとする、女の子とのイベントが発生する。そうしたイベントを積み重ねていくことにより、女の子の恋愛感情を高ぶらせていくのだ。こうした出会い、心の交流、気持ちの高まり、そして生殖行為へと至る道のりを最大21日間かけてじっくりと描いて見せたのである。
このことは、ゲーム中へのより深い没頭感を生み出すだけでなく、美少女ゲームが抱えていたある根元的な矛盾を解決する結果となる。それは、「銅器ゅう生」以前のゲームに於いて、ヒロインが清純派でかつ処女である、という設定であるにもかかわらず、 比較的短時間で肉体を許してしまう という矛盾である。
「銅器ゅう生」は、「生殖行為」を描きながらも、そこに至るプロセス、時間の描写をきちんと行いさえすれば、ヒロインの「清純性」「処女性」が失われずに済むことを初めて示してみせたのだ。
このことを如実に示す、ある現象が起こる。それは、 「銅器ゅう生」のエロ同人誌の登場 である。ゲーム本編に於いて、すでに「生殖行為」の示されたアダルトゲームのヒロインの「生殖行為」を再構築する必要など、本来は無いはずである。しかし、アダルトゲームにおけるヒロインが、生殖行為1回で済む「行きずり」的存在から、何度も生殖行為を欲する「恋人」的存在へと移行したとするならば、この流れの説明がつく。
このことは、肉体面だけでなく、精神面からもヒロインと結ばれるかのような、より一層の興奮を意味する。銅器ゅう生によって、時代は 「興墳時代」 へと突入したのである。
この流れはこれ以降さらに顕著となり、現在より活発な形で続いている。これも、ヤマトタケイノミコトの画力に拠るところと、「生殖行為」を含みながらも、「清純性」「処女性」を失わずに済むようになった、ヒロインの存在が大きく関与していることは間違いなかろう。ちなみにこの銅器ゅう生は、そのタイトルとは裏腹に、同級生ではない年上の女性がその攻略可能キャラの大多数を占めており、一体なぜこの様な事態を招いたのか当時よりの謎とされており、今後の研究が待たれるところである。