食い意地日誌②「ビーツ」
野菜売り場でビーツに出逢った。
ボルシチに使うと噂のあれだろうか。
ボルシチとは何だろうか。
ロシアのスープの一種ということしか知らないが、文学作品によく登場する名だ。ああ、ボルシチ。
ビーツとは、それに欠かせない食材の名ではなかったか。元・文学少女(偽)は大興奮である。
さて、人生初ビーツを視覚で描写してみる。
土のなごりを皮にまとった、赤紫の根菜である。一見サツマイモのようだが、賀茂ナスのように丸い。
成人男性の握りこぶしより大きくて圧倒される。
ともあれ、野菜売り場に置いてあるからには食えるのだ。調理法は検索すればいい。
ご機嫌で購入し、連れ帰った。
さて、検索してみた。
その鮮やかな赤から、和名は火焔菜というらしい。カエンサイ。厨二ゴコロをくすぐられてたまんない御名である。どことなく、アサシン遊女にいそうだ。「華艶斎」とか誤変換したくなる。
そして、土っぽいものが付着している以上、果実ではないだろうから、芋の一種だと思っていたのだが、違うらしい。
さらに云うと、カブの身内でもないのだそうだ。
では何者かと申せば、サトウダイコンの一種で、ホウレンソウと同じ科に属するのだとか。
とりあえず、ひとさじの酢を落とした水で丸茹でしてみた。
この時、色素の流出を阻止すべく、皮を傷つけないようにせねばならんらしい。ここがポイントとのことである。
さて。茹であがったものの皮をむき、切り分けて口に入れる。
土臭く、かつ青臭いけど甘みがあって、なんだっけこれ。
覚えのある味なのだが…と思ったその時、「ホウレンソウの近種」という言葉が光の速さで脳裏を駆け巡った。
あ…これ、ホウレンソウの根っこの赤いところの味やわ。
お浸しとして提供されたときに残す者も数多おいでになるというこの部位の、肥大化したものを喰らうとは、なかなかのドM!
しかし…凄い色素でますねビーツ。
まな板も包丁もマゼンタピンクに染まって、まるで何かのクリーチャーをさばいた後のようだ。さばいたことないけど。
まな板の写真を撮るのを失念していたが、仮に撮影データがあったなら、モザイクをかけたくなるようなありさまだ。
エプロンを着用していなければ、災いが降りかかるところだった。くわばらである。
実際、着色料や染料として使われるようだし、強烈な色素と思われる。
京みやげの「五色豆」を製造する菓子鋪で、人口着色料を一切使用してないのがご自慢のところがある。
そこでは「赤」を染めるのにビーツを使っていると、昔、「暮らしの手帖」で読んだ。なるほど納得です。
とりあえず、ビーツが手中にあるからにはボルシチを作らねばなるまい。
ということで、レシピを検索した。
さて、ボルシチとは何ぞや。
ウクライナ料理にして、世界三大スープのひとつであるらしい。
トマトで味をつけ、ビーツで色をつけ、サワークリームを落としていただく。レシピにおいて、これが譲れない点である。
肉は、牛を使うもの、豚を使うもの、腸詰をいれるものと様々。家で食べる素人料理ならどれを選んでもいいのだろう。
そして野菜は、玉ねぎ・人参・ポテトのシチュウ御三家があればいいのだそうだ。これなら作れそう。
かくして、我はボルシチを作らんと欲した。
数時間後、我は美味なるスープを得た。目に鮮やかな紅、トマトの酸味。おかわりもしてご機嫌である。
森茉莉の小説で、麻薬常用者の男が、さらって来た美青年に「ボルシチ式のスウプ」をごちそうするシーンがあるが、ああ、ボルシチとはこのようなものか。元・文学少女(偽)は感涙にむせんだ。
しかし。
独居の身で、こぶし二つぶんのビーツを食い尽くすのは、なかなか骨が折れる。
また、ビーツというものは、色は非常に麗しいが、旨味はあまりないのである。わたしがバカ舌なだけかもしれないが。
サラダなどにもしてみたが、結局、最後はカレーにして食べてしまった。禁じ手を用いたことは、今も我の胸をさいなんでいる。
さらに良心の呵責を感じるのは、ボルシチに匙を浸したあの日、サワークリームを用意するのを忘れていたことである。
これは、ボルシチへの冒涜である。
胸に残り離れない青いビーツの匂い。
紅に染まったまな板を慰める奴はもういない。
再び出会えるなら、一からビーツを見初めてボルシチを作ろうと決めた我である。