仮想政府があるといいな (3)
上の続き。
クリーンな環境(OSまたは政府)を目指して
政府、改革、とくれば、セットでついてくるのは「過去のしがらみ」。
何か新しくていい仕組みがあっても、既得権として使われていた法や利害関係者のせいでうまく採用できない、というのは世の常だ。
「現実をみろ!」という恫喝は大抵、この手のしがらみを直視して、目の前の作業(すぐできること)に集中しろ、という意味で使われる。
確かに、大体、制度の改革は十年単位の時間、下手をすれば百年はかかる。
何かにつけ動きの速い現代で、そんなものに関わっていたら一生を棒に振る。
人生は一度だけ。政治に無関心になるのは、ある意味賢いからだ。
さらに、なんとか改革にこぎつけたと思ったら、既得権益との妥協の結果、意図したのとは逆の効果を持つ意味不明の制度に変態していたなんてことも多い。
ところで、この状況、「開発ツールのインストールの話」と似ていないだろうか?
環境(WindowsとかLinuxとかMac)が、その人にしかない特別な歴史(過去に色々開発ツールを入れた結果、設定がその人にしかない固有のものになっている)を持っていると、意味不明のエラーが起きてしまい、その対処に異常に時間がかかる。
この場合、「意味不明のエラー」は、新しくて素晴らしい制度(新しい開発用ツールなど)を入れたくても、過去のしがらみ(過去にOSに施した設定など)によって納得できない理由で禁止される(昔に入れたアプリの残骸で新しいツールのある特定の動きがブロックされる)という状況に対応するだろう。
もし、前回の「悪性のエラーだと百倍」という見積もりが、政治改革の場合にも正しければ、「一年で済む制度改革」に対し、「無意味な既存制度対策で百年」かかるという換算になる。
だったら、変わらない環境に向かって変われと言うより、違う環境をどんどん作っては捨てて、にもかかわらずユーザーがダメージを受けない仕組み、つまり仮想環境を作ればいい。
それが開発者たちの得た知恵だった。
もちろん、現実の政府やら国家やらはOSじゃない。OS+PCは最悪物理的に捨てて、クリーンな新品を買ってくればいい。
ちなみに政府の機密文書を暴露して話題になったスノーデンは、ドキュメンタリー映画の中で、「一回ネットに繋ぐためのパソコン」をわざわざ新品で発注していた。
けれども、OS+PCと違って、政府には人の生活、生き死にがかかっている。駄目だから捨てるわけにいかないし、そもそも「捨てる」方法が良くわからない。
続く