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死が過ぎる時

少々過激な発言・死生観がございます
人によってはトラウマを引き起こす可能性がございますので、ご理解の上、お読みください

たとえ十分でも、昼寝をしてしまうと一晩中起きれてしまう。それは元からなのか、今の仕事の賜物なのか分からないけれど、困ったことに変わりない
翌日仕事の時などは、最悪の気分で出勤する
夜更かししたくて寝不足状態でいるのなら、自業自得で済む話なのだろう。けれど、そうでないから寝れないことに苦しむ

仕事の日に「布団から出られなくなること」を皆は経験あるだろうか。風邪でも筋肉痛でも、何なら二日酔いでもなく、なのに動けないあの理由なき感覚を
気分転換にと読書やネットサーフィンをしても晴れないモヤモヤを、感じたことはあるだろうか。何をやっても「気分が上向かない」「気持ちが落ち着かない」状態を

薬でもコントロール出来ない、叫び散らし暴れ回りたいほどの衝動を、得たことはあるだろうか。思春期の過ちといったものではなく、自暴自棄に近いあの感情を

その裏には〝希死念慮〟であり〝自殺願望〟が、寄り添うように常にいる
無論、毎回それらを自覚できる訳ではない。けれど自覚したが最後、夜が長くなる
そんな生活が、そろそろ五年となる


今思えば、ずっと死への憧れはあった。自己肯定感が高くなかった小中学生時代、「自分が死ねば家族は楽になる」と思ったものだ。自分だけ感じる家族の中での孤独感は、ある種の絶望と諦観を持たせる
実際はそうでなかったと気づくのに十年以上かかったのだが、それはまた今度話すとしよう。何せ誤解が解けた現在も、溝があるのだから

死ななかった理由は、「自分が死んだ後の後始末がつけられない」年齢だったから。そして〝彼女〟達が、必死に〝彼女〟に対して、のらりくらりと生かしていたから
まあ……誤魔化しが出来なくなった時=死ぬ時だったから、彼女達も必死だったろう
事実、社会人となり誤魔化せなくなったあの時、三途の川を渡りかけた訳で、彼女達のあの行動は正しかったのだと、結果論となるが証明してしまえるのだ。今以上に自殺願望が強かった頃のことを考えれば、現世への足枷を作ることが、彼女を踏み留まるようにする唯一の策だったのかもしれない

自分に合った医師。自分に合った投薬
出会うまで、いや、そもそも通院できるようになるまで、本当に長く苦しんだ
そして、たとえ〝私〟が私として生きられるようになった今もきっと、この先苦しむのだろう
自分との──カラダとの折り合いを付き合えるように、なるまでは

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