村上龍さんについて
久しぶりに本を読んだ。
音楽をシャッフルで垂れ流しながら夕食を食べている途中、ハッと思い立ち本棚の前に行った。なにも考えずにすらりと抜き取ったのはまだ一度も読んだことがない小説、村上龍さんの69。
食卓まで戻り、単行本のピンクの表紙を見ながら夕食をかっ込んだ。何がかは分からないが、私をとんでもなく急き立てるものがあるのは事実だった。時折、こんなふうにどうしようもなく本が読みたくなるのだ。それも特に、村上龍さんの本が。なぜ?それはたぶん、私が彼の世界にひどく惹かれているからに決まってる。
私が最初に村上龍さんの作品を読んだのは、高校二年の頃だった。好きな作家は山田詠美さんと江國香織さんと金原ひとみさんでしょ、それから綿矢りささんで、、、と女性作家しか読んでいなかった私。特に山田詠美さんに憧れていて、彼女が書かれる時代がとてもとても好きだった。当時、同じような時を過ごしていた人にとっては的はずれかもしれないけれど、私にとって高度経済成長期の日本の暮らしやインターネットが普及したばかりの日常、ちょっぴりアメリカンな人々、ディスコとかテレクラとかロックバンドとか、そういうものたちはとても輝いて見えた。少しスリリングだけど自由で素敵。山田詠美さんの作品に限らず、60から80年、また90年代の日本をバックにした物語が、私は大好きだ。
で、そんな私がどうして村上龍さんの作品に至ったかというと、彼に元から目星を付けていた………からではない。私は五十音順で並べればそのとなり、村上春樹さんの作品狙いだった。高度経済成長時代日本の作品を読み漁っていた私にとっては、通らざるを得ない御方だ。それになんといっても、文学の巨匠である。(と自分は未だに思っているのだがどうなんでしょう。とにかく私としては彼は文学作品のトップに君臨する崇めるべきラスボスだった)
が、しかし私は少し、いやかなり彼を敬遠していた。何故なら、一度挫折しているから!脳ミソが空っぽで考えることを煩う生粋のダメ人間「私」は過去に村上春樹さんの作品を読んではいたものの、その抽象さとワールドと言い回しと、とにかく全てに敗北していた。や、難し!何度読み返してもわからん!!
ということで、私は図書館の本棚の前で立ち止まり、あの挫折を越えられるか否かと真剣に考え込んでしまった。そして、うんうん唸りながら顔を上げ、視界に飛び込んできたのが村上龍さんのお名前だった。
今でもあの衝撃は忘れられない。なんと表現したらいいか。そのとき、私は村上龍さんの名前を背表紙に見つけ、ごく自然にそのタイトルを目で追った。そして、気付いたらその本を手に取っていた。たくさんの建物のような、四角い物体が並んでいて、なにこれ美術のなんかの図法か?と思われる表紙。そして文字。
コインロッカー・ベイビーズ。
なんだろう、雷に撃たれたとか、そういう表現が適切なのだろうか。わからないけど、私は引き寄せられたようにそれを手に取り、貸し出しカウンターに向かった。借りる予定も、ましてや失礼ながら村上龍さんの作品を一度も拝見したことがなかったのに、だ。とにかく、出来るだけ早く、読みたかった。私は衝動任せにコインロッカー・ベイビーズを借り、爆速で家に帰ると、机の前に腰かけて本を開いた。そして最初の一行目を読んだわけだ。あの痺れ!読み進めていくうちに、恐怖とか不快感とか醜さとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになっていく感じ!たまらなかった。あまりのリアルさに気持ちが悪くなり、何度も読むのをやめようとしたし、寝落ちたときは物語の中のようなとんでもない悪夢を見た。でも、少しでも物語から離れると、欲望が鎌首をもたげる。読みたい!!!
そうして、まるで取りつかれたかのように、私は彼の作品を読んでいった。今思うと麻薬だ。いや、今でも、と言うのが適切だろうか。数日かけ読破した日の倦怠と空虚な感じを思い出す。ときどき、あの感じがとても恋しくなる。
だから今日も、思わず薬物に手が出た。ページを開くと、世界が待っていた。ああこの文章、染み渡る。彼の描く世界はヒリヒリしていて、鮮明で、物凄く痛かったり苦しかったりする。私はその感覚をいつも求めている。ティーンの時の、からだ全体でものごとを感じとる、鋭い感覚。皮膚から吸い込んでいく、文章の中の世界の空気の重み、湿り気、熱。景色は流れていき、私は登場人物と迷い苦しみ嘆き闘い声を上げる。それがどれほど幸せで、満たされる時間か。私はきっとこれからも、彼の作品と生きていくだろう。苦しい日々の中、いつだって私を待っているピリつく痛みに恋い焦がれ、また次の劇薬へと、ゆっくり確かに手を伸ばすのだ。
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