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読書「産む気もないのに生理かよ」
私が愛聴しているPodcast「となりの芝生はソーブル」の月岡さんが執筆された「産む気もないのに生理かよ」がついに発売されたので、さっそく読んでみた。
将来的に子を産むか、産まないか。そもそも私の場合は結婚すらしていないので、結婚したいのか、したくないのかも分からない。
結婚がゴールではないのは痛いほど分かっている。
私は幼少期にそれを秘かに悟り、お嫁さんになりたいと思ったことがない。両親は仲がいいわけではなかった、父はアルコールに溺れ、母は子を育てるために必死で働いてた。口を開けば金銭面で言い争う両親を見ていると、母に生まれてきたことを申し訳ないと思ったこともある。
そんな中、私は兄からDVを受けていた。この頃から「死後の世界について」考えるようになっていった。私にとって私の命など軽いと思っている。
常にそう考えて生きてきた。なので、世の中はクソゲーで生きたいという執着がそんなにないように思う。
そんな私が子を産みたいですか?と聞かれたら正直分からない。
この世界に執着がないからだと思う。
さて、私自身の話はここまでにして感想をつらつら書いていこうと思う。
読んで思ったことは私も産むというハードルが高いのだと思う。今では昔のように産むのが当たり前から、産まない選択も出来るようになった。選択できる自由を手に入れた一方で、迷う女性が増えたのでないだろうか。今の日本の状況から「幸せにできるだろうか」という不安や、旦那はどのくらい育児に関与してくれるだろうか、いじめにあわないかと考えればきりがない。
実際幸せのレベルなど人それぞれであるが、あくまで食っていければの話ではないだろうか。仮に働けない状況に陥ったとき幸せと思える余裕があるだろうか。私は今休職していて傷病手当金をいただいて、生活をしなんとか食っていけるレベルでその中でも幸せは確かに存在している。でも、もしそれすらも思えなくなったとき、この日本で生きていたいと思えるどうかと考えたときに私はそう思えないと思ってしまう。
生きていたいと思える世の中でないのに新たに命を産む覚悟は私には到底できる気がしない。
産むハードルが低い人が何も考えていないとは思っていない。むしろ考えないで済むのならそれに越したことはないと思う。
そもそも、産んでも産まなくてもどちらがいいかとか正解自体ないし、選択した方でよかったなと思えるような人生を歩めるかが大事なのではないかと思う。正解を決めるのは他者ではない、干渉されることは正直いらぬおせっかいである。(結婚しないの?子ども産まないの?とかうっせーわってなる)
どこかで苦しんだりしたとしても死に際にこの人生も悪くなかったなと思ってせめて死にたいな。
私はそれが叶えば十分である。私の人生を決めるのは私で何が悪いのだろうか。
別の小説にこんな言葉があった。
「君が感じている世界を誰かにそっくり体験させることはできないだろう。誰もがそれぞれの世界で生きている。」
これでいいじゃないか。どっちがいいとかよくないとか。この言葉が解決させてくれるようような気がする。
それでは、本日はこの辺で。