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意味のない文章

何かを書こうと思うのだが、取り立てて何も書く気がない。
いや、ここ数日の間に色々とネタになりそうなことはあったのだ。しかし書きたくないのだ。
それはここ数日の色々な出来事、更には8月が戻ってきたかのような気温による疲労もある。全く疲れてしまった。
ならば何故こうして書いているのか。
私の性根は捻くれ者なので、こういう気持ちの時にあえて書いてみればどうなるのだろうと思いつき、文を認めている。自分でも思う。全くの阿呆である。
この「何も書かない。書くことがない。書きたくない」という気持ちでどれだけの文章が書けるのか。私は今、そんなしょうもない好奇心だけで筆を進めている。
そんなこんなで300文字に行きそうだ。丁度、最新の「。」で300文字だ。意味はないが幸先がいい。
幸先といってもいつ終えるのかは自分次第である。何しろ書くことはないのだから。今突然に文章を終えることだって私の自由だ。
しかしこういった「中身のない文章」の場合、なるだけ長く続けた方が面白いだろう。阿呆がより阿呆らしく、もしかしたら「よくぞここまで中身のない文章を長ったらしく書ききったもんだなぁ!」と褒められるかもしれない。
いかん。邪念が出た。阿呆の文章に賞賛は不要である。阿呆はどこまでも阿呆であるべきだ。たとえ褒められたとしても「ほえ?」と間の抜けた受け応えが望ましい。
さて、ぼちぼち書くこともなくなった。
嘘である。書くことなぞはなから無い。書くことはないでは無いが、「書いてたまるか」という意地のようなものがある。
文字数を増やす為にエピソードを入れることなどもまっぴらごめんだ。今まで書いていて思ったことだが、読んだ皆様が「結局、私たちは何を読んだの?」と思われることが理想である。
何度も書いているが、この文章は中身のない文章である。駄文である。いや、駄文ですらないかもしれない。書いてる側は適当で、捻くれ根性を発揮して半ば意地で書いている。読者の皆様はどこかで適当に降りていただいて自由である。
そうこうしている間に850文字になってしまった。ここまで読んでくださった皆様には感謝しかない。これだけの文字を紡いでいて皆様もお分かりの通り、全く意味はないのである。無駄な時間に、本当に無駄な時間にお付き合いいただきありがたい限りだ。お礼のしようもないしする気もない。
ここまで読んだ皆様はこの駄文を認めた私をどう思うか、さっきも書いたように賞賛するのだろうか。先程はそれを邪念と書いたが、もし褒めていただけるのなら受け入れよう。
その賞賛はこの中身のない文章という容器に入った最初の「中身」である。
「意味のないもの」が「意味のあるもの」に変わる瞬間であろう。
なんだか上手いことまとめられた気がする。ここで筆を置く。
皆様お付き合いくださり感謝いたします。

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