B#1 凍りのくじら / 辻村深月
私の好きな作家は、プロフィールにもありますが辻村深月さんです。
私が知ったときは、既にいくつもの長編を発表されていて、世の中ではとっくにメジャーな方でした。
が、世間に疎い社会人の私は、「冷たい校舎~」が漫画化されてたぐらいしか知らず
なんとなく本屋で手に取った「凍りのくじら」文庫版までその存在を認識すらしていなかったのです……。
藤子F不二雄を愛する作者のこだわりがつまった作品ということで
小さい頃から藤子マンガを多数読んできた私が読まないわけにはいかない、
そう思って買って帰りました。
で、読んでみました。
分厚い文庫本だったにも関わらずあっと言う間に読んでしまいました。
藤子のSFの解釈「すこし・ふしぎ」を物語の中で使っていて「少し不安」「少し不満」と言った言葉遊びがそそられましたし、
何より物語の世界観に引き込まれてしまいました。
理帆子の葛藤や見つけ出す答えについては、私が語るまでもなく
あらゆるレビューサイトなどで語られているかと思う。
私が読んでいて、むしろ痛々しく、そして自分のことではないかと思わされたのは「若尾 大紀」の存在だ。
弁護士を目指す司法浪人の彼は、はっきり言えば哀れな存在だ。
プライドは高く、承認欲求は強く、自分は認められるべき、認められるはずの存在だと思っている。
だから理帆子に認められないことは納得できないし、これでもかと自分のすごさを見せつけてくる(まさかの過去の模試成績まで)。
あきらや郁也がどこか幻想的な世界観を描かれ、美しさを感じるところもあるのに対し、
若尾はひどく不安定で、ひどく深いな存在だ。
いろんな小説の中で好きになれない登場人物はいたが、
若尾はトップクラスに好きにはなれない。
辻村作品には若尾のような存在が何人か出てくるが(芹葉大学の夢と殺人とかですね)、
彼のような存在は、必死で努力をしていないのに、自分の成功を疑ってはいない。
自分なら大丈夫、自分は選ばれた存在である、自分にできないことはない。
何の結果も出していないのに、若尾は自分はすごいやつだと信じているし、
理帆子が自分をわかってくれると思い続けている。
実際、理帆子も若尾に自分に似たものを感じていることを述べていたかと思う。
しかし、二人の道は決定的に分かれてしまったし、
その後の辻村作品で理帆子はほんのわずかに出てくるが、若尾の影も形も出てこない。
もはや二人が会うことはないんだろう。
そんな若尾を見ていると学生時代の自分を思い出してしまう。
私もまた自分にできないことはないと思っている愚かな十代後半から二十代前半を過ごしていた。
まるで若き日の自分のような彼を見ていると思わず目を逸らしたくなる。自分の黒歴史をまざまざと見せつけられてしまっているような気がするからだ。
私は何にでもはなれなかったし、選ばれた存在でもなかった。
それに気づくのに随分時間がかかった。
若尾は物語内で気づけないまま終わるが、私もまた大学生、そして大学を卒業してしばらくは自分を見つめていなかった。
本当は何ができるのか、何ができないのか、頑張ればどこまでいけるのか、ありのままの自分を受け入れて歩き出したのは二十代も終わる頃だっただろうか。
辻村深月は、おそらく若尾のような存在に出会ったことがあったのだろう。だからこそいくつかの物語で彼のような存在が出てくるのだろう。
辻村作品ではスターシステムが採用されて、いろんな登場人物が別のお話にも出てくる。ファンならば常識であることだ。
しかし、若尾のような存在がもう一度出てくることは私が知っている範囲ではない。
それは辻村深月が、おそらくは高校生、大学生の頃に出会った若尾のようなタイプの人間とは全く別の道を歩いてしまっているからではないだろうか。
その後の若尾のような存在がどうなったか、知る由もないのではないか。
だからこそ、その後らしき姿は描かれないのではないか。
まぁ、描いたところで面白い話になるのかはわからないが……。
この「凍りのくじら」を読んでから、私は辻村深月が気になるようになり、
多くの著書を買い漁っていくことになる。
それは若尾のような存在と別の道を歩く彼女の書く未来を見てみたくなったからかもしれない(ちょっと大げさ)
そんな辻村深月が私と同じ年と知るのは、この物語を読んでからのことである。