秋は田園

秋は夕暮れ。清少納言が枕草子にしたためた、有名なフレーズである。

たしかに、秋は夕暮れだと思う。
会社の窓から大きな茜色の夕暮れを見るとき、「こんなに美しいものをただで見てもいいのか」とありがたい気持ちが胸に広がる。

しかし、会社で秋の夕暮れを見ていて興ざめする瞬間がある。

「新世界より」を聞く瞬間だ。
私の勤める会社では、退勤の時間にドヴォルザーク「新世界より」の二楽章が流れる。
日本では、家路と題を付けられ「遠き山に日は落ちて」と歌詞も付けられている、あの有名なメロディー。
私はこの「新世界より」2楽章が大好きなのだが、あろうことか弊社で流れる「新世界より」はオルゴールでの演奏にアレンジされている。
毎回、このオルゴールアレンジを聞くたび、興ざめした気持ちになるのだ。その理由を説明したい。

「新世界より」はチェコで生まれ育ったドヴォルザークが、当時まだ新天地であったアメリカに滞在している3年間のうちに書き上げた交響曲。
故郷に帰りたくなっても、今のように飛行機で帰るなんて容易な選択肢は、ない。アメリカというまだ新しい国での、文字通り「命を懸けた」滞在であったに違いない。

先日、この「新世界より」をオーケストラで演奏していたら、指揮者の先生が、自分がヨーロッパ留学していた時の、ホームシックについて語ってくれた。
先生は、約17か月海外に滞在し、ホームシックにかかったらしい。
最初は少し寂しい程度だが、17か月もいると、だんだん精神状態がおかしくなっていき、周りの人に無性にイライラし、八つ当たりし、夜は眠れない。
本物のホームシックとは、「修学旅行3日目の家への帰りたさ」なんて可愛いものではないらしい
あまりに眠れないので、10日間だけいったん帰国することにした。日本の空港に着いた時、白と黒のパンダみたいな配色のパトカーを見た時、「帰った、帰った!」とつぶやいて、すべてが治ってしまったらしい。(ヨーロッパではパトカーは緑と黄色だそうだ)

ホームシックは、文字通りシック、「病気」なのである

「新世界より」2楽章を聞くと、遠い遠いアメリカから、「大西洋の向こうの故郷にこのメロディーが届くだろうか」というドヴォルザークの声が聞こえてくるような気持ちになる。
当時のチェコの人々だけでなく、100年以上後世の日本人である私も、このメロディーを聴くと郷愁、ノスタルジー、哀愁みたいなもので胸がいっぱいになる。
国を超え、時代を超え、普遍的に皆が感じる郷愁があるとすれば、このメロディーなのである
この「普遍的な郷愁」を実現するためにドヴォルザークはこのメロディーをコーラングレという特殊な楽器で演奏するように指示している。
コーラングレはオーボエに似ていて、オーボエよりも深く、低い音が出る楽器だ。
通常は、オーケストラにはない楽器で、オーボエに演奏させればいいところを、わざわざこのような特殊な楽器にふかせるなんて、ドヴォルザークも強いこだわり屋さんなようだ。
しかしこのメロディの郷愁は、聞けば聞くほど「コーラングレにしか表現できない」ものだと思う。
コーラングレの、かすれ声が深くこのメロディを歌う。その時、聞く人はそれぞれの記憶の中の、もう二度と帰れない場所、戻せない時間を思い出す。この効果は、オルゴールの軽やかな音では、到底表現できない。例えば、会社でお昼に流れるショパン「ノクターン」などは、オルゴールがぴったりだと思うのだが。
どうやら楽器には、適材適所というものがあるらしい。


指揮者の先生の話を聞きながら、私がもし、遠い海の向こうに滞在することになったら、日本の何を思い出すだろうと思った。
皆さんは何を思い出すだろうか。自分の家だろうか。家族や友人などの顔を思い出すだろうか。
私は、お米を思い出すのではないかと思う。
特に、秋の田園風景は美しい。
黄金色に大きく実った稲穂の重みで、稲がしなっている。そこに、夕日がさしてたくさんの稲穂がきらきらと光っている。
お米の、甘いような香ばしいような香りがしてくる。
「豊かさ」とは「ありがたさ」とはこういうものなのか、と思う。自分が主食としているものが、ここに、こんなに美しく、太陽に照らされている。
日本人が、神様に米俵であったり日本酒を供える理由が、なんとなくみえてくる気がする。

ちなみに、指揮者の先生は、留学先で日本の小説を読み、おにぎりが出てきたときから、ホームシックが加速度的に進行したらしい。

清少納言風に言うなら、私は「秋は田園」だと言いたい。

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