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「ビルディングタイプの解剖学     五十嵐太郎+大川信行」を読んで

久しぶりの投稿になってしまった。
この空白の期間に私は就職活動を終え、2週間ほどヨーロッパを訪れるなどしていた。それらについても順次書いていきたいと思っている。


さて、今回はタイトルにあるように「ビルディングタイプの解剖学」という本を読んだので内容を忘れないうちに言語化しておこうと思う。

全体を通して、非常にエキサイティングな知の冒険、を味わうことができた。建築に限らず、様々な学問を横断しながらまた社会的背景、社会制度も加味しながら論を進めていく。そして、最終的にはベンヤミンのパサージュ論を引用し、本全体を鮮やかにまとめている。

順に印象に残った点を記述していく。まず、ビルディングタイプとは何かというところから話は始まる。そもそもビルディングタイプとは元々あったものではなく、社会の発展と共に生まれ、人間が建物を分類してきたものに過ぎない。しかしその分類は建築計画学を進めるうえでとても役に立ってきたといえるだろう。

その点について、本書では過去にどのような研究がなされてきたのか、その背景についても触れている。

特に重要な点はビルディングタイプとは社会の情勢や制度によって必要に応じて生まれてきたものであるということだろう。その点に関して、建築家という存在は、あくまで要請に従い設計を行ってきたような存在でありなんとも受動的なもんだと感じてしまった。


本書ではここから、教育、生産、矯正、収集という章に分けて進んでいく。

まず教育だが、これに関しては宗教的な影響がとても大きいことがわかった。細かなことは割愛するが、教会から学校へ発展していったという流れがあったようだ。

学校に関しては、いかに多くの生徒を効率よく教育するのかという点が重視されていたように感じた。またその道中には今ではあたりまえになっている「学級」というシステムの誕生が建築にどのような影響を与えたのかも記述されていて面白い。


次に生産では、倉庫、工場について記述されている。
こちらも合理性を求めた発展が行われており、ベルトコンベア式の生産方法など試行錯誤のうえに建築の形態も変化してきたことがわかる。

矯正では、監獄、病院について書かれている。本書の中ではミシェル・フーコーの「監獄の誕生」が何度も登場する。その本の中で言及されているパノプティコンという監獄はまさに近代を象徴するよう建築といえるだろう。いかに効率よく囚人たちを監視し収容するのか、その技術は監獄にとどまらず病院や学校をつくる際にも影響を与えたようだ。


最後の収集の章では、動物園、万博、パサージュについて書かれている。
特に万博についてはまさに現代の日本で話題になっている事柄である。
これを読むと現代において物理的に多くのモノを一か所に集め、多くの人を呼び集めて開催する万博の意義とは何なのか考えさせられる。
過去の万博とは違った新たな価値観を持った万博となる必要があるだろうと強く感じた。


さて、ここまでざっと内容をまとめながら概略を書いてきたが、この本を読んで感じたことは、近代という時代はいかに合理性をもとめるのかという、言い方が正しいかはわからないが非人間的なような考え方が原動力となり様々なシステムが発展してきたように思う。しかし、そのような発展が起こってきたのは、自らが他の者よりも優位に立ちたい、他国に勝ちたいというような極めて人間的な欲望が原動力になっているともいえるのではないだろうか。


そのような矛盾を抱えながらも様々な試行錯誤を繰り返して発展してきた人類。ただ、そのような発展の仕方はそろそろ限界に差し掛かっているだろう。人間の欲望のままに発展してきたことによる弊害が地球を苦しめてきたのだろうか。

現代における関心ごとは地球、環境、といった人類という枠組みを超えた(人類も含まれるのだろうが)ところにあるように思う。

この建築におけるビルディングタイプがこの先変化していくときに、それはきっと人間のためではなく、地球環境という人間を超えたところに主体を置いた上で発展していくのが現代といえるのではないだろうか。



様々なことを考えさせられる本書をぜひ読んでみてほしい。
もし読んだら感想を書いていただけるとありがたい。


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