鈍行列車とバスで行く 白樺湖、霧ヶ峰高原の旅②
二日目
翌朝、空が白み始めた頃、ウグイスの鳴き声で目が覚めた。
ゴールデンウィークも過ぎたのに、春の使者の歌声は、ここの季節が下界よりも、一月以上遅いことを教えてくれる。
昨夜は星空の写真を撮るつもりでコンデジと三脚も用意していたが、ホテルの門限が22:00のため断念、代わりにぐっすり眠る事が出来た。
半分は観光だが、それが主な目的ではない。
知りたいのは、パンフレットに書かれていない部分。
ここが" 安息の地 "とも成り得る場所かを見定める事、それを忘れる訳にはいかない。
ホテルは連泊だが、間に一度、チェックアウトしなければならない決まりがあり、
昨日持参した食料等を再びリュックに仕舞い、さっそくお目当ての物件を見に行く事にした。
湖畔にて
ホテルから湖までは、歩いて数分足らず。
釣りが趣味だから、先ずは水辺の様子も見たくなる。
これも条件の一つなので、いきなり" 脱線 "と言う訳では無い。
抜かりなくフライフィッシングの道具も持って来ている。
白樺湖は元々、農業用の人工湖だ。
透明度はそれほど高くなく、若干 " カンロ飴 " のようなクリアブラウンの色をしていた。
それは恐らく、周りの森の樹木から染み出した樹液の中のタンニンと呼ばれる成分によるのだろう。
湖の畔には綺麗な遊歩道が整備されていて、澄んだ空気と森の香り、綺麗な湧水とせせらぎの音が非常に心地よい。
マイナスイオンを存分に浴びながらの散策は格別だ。
植物には詳しくないが、春らしい水辺の花々がそこここに咲き誇り、目を楽しませてくれ、自然と顔もほころぶ。
ここの自然には、北アルプスや黒部のようなワイルドさは無いが、
日本百名山に数えられる二つの峰、車山と蓼科山の懐に抱かれ、
程良く人の手が入り、様々なアウトドアが手軽に楽しめる格好のエリアと言えるだろう。
自分が引っ越しで重視している条件の一つに、" 水質の良さ "がある。
以前住んでいた青梅市もそうだし、現在の昭島に至っては、ご存知の方は少ないかもしれないが、東京都の中で唯一"地下水"を水源としているというので引っ越しを決めた程だ。
立科町は水道料金は高めだそうだが、
水源は全て湧水、水質も抜群とのことで申し分ない。
水辺を離れ、今度は森の中の別荘地へと入ってみた。
湖の周囲の他は、平地が少なく、小径の上り坂に少し汗をかくが、高地で湿度も低いのでさっぱりしている。
その代わり、紫外線は低地よりも強いので、日焼けには御用心。
今はまだ木々もまばらにしか芽吹いておらず、広い敷地に点在する別荘がよく見える。
もうじき緑に覆われて、避暑地らしい雰囲気になるのだろう。
中には、定住していると思しき御宅もあり、町の清掃車も作業していて、管理は行き届いているようだった。
しかし、冬場の凍結や除雪対策などはどうなのか?
そこはとても気になるところだ。
この近辺の、少し奥まった場所の別荘は、" 軽自動車 "並みの破格の値段で売りに出されているが、それでも買い手は付かないでいる。
別荘地を抜け、ビーナスラインに出て暫く歩くと、お目当てのリゾートマンションが見えて来た。
まだ先の事なので、今回は内見の予約はしなかったが、不動産会社からメールで貰った情報だと、古い割には内装も綺麗で、良さそうな物件に見えた。
ただ、湖の" 繁華街 "からは遠く、実際に歩くとグーグルマップで見るよりも距離感があった。
スキー場が近い他は、便利とは言い難い場所にあり、実際の入居率がどうなのかも疑問符が付く感じではある。
しかし、ここにも生活感が感じられる部屋もあったので、僅かだが定住されている方もいるのだろう。
ぐるりと一周してみた感じ、年相応の傷みはあるものの、高層マンションではないので修繕費用の積立なども安く、まだ20年は平気そうだ。
雰囲気も、北軽井沢の別荘地のように薄暗い感じではなく、好感がもてる。
前もって見に来て正解だった。
しかし正直な話、通勤や病院、日用品の買い出し、ガソリンスタンド等のインフラを考えれば、大げさに言うと、今の東京の生活と比べて10倍は不便かもしれない。
昔、北海道の田舎を訪れたが、そこと殆ど変わらない気もする。
やはり、価格と便利さはトレードオフなのだ。
それでも、自然が好きで、普段から" お一人様 "への耐性がある人なら問題はない、と言うのが自分の率直な感想だった。
後はそれが単なる正常性バイアスでないことを祈るだけだ。
気の済むまで見て周った後、再びビーナスラインに沿って白樺湖方面へ、トレッキングで戻る。
すると、近代的な外観のホテルが見えて来た。
周辺の廃墟ホテルとは違い、とても清潔感があり、質の良いビュッフェや露天風呂から湖を一望出来るのがウリの、高級リゾートホテルだ。
自分のようなエコツーリストには縁が無いが、次回は日帰り入浴ぐらいは利用してみたいと思う。
再び湖岸を散策すると、ところどころ
木陰にベンチが設けられていている場所を見つけた。
水面を眺めつつ思索にふけったり、読書をしたりして過ごすのにお誂え向きの環境だ。
何か文庫本でも持って来れば良かった。
釣りをしてみたくなったので、漁券を買い求めるために、管理釣り場の事務所らしき場所に来た。
しかし、事務所は荒れ果てて、管理者も見当たらず、残念ながらチケットを買うことは出来なかった。
ただ、釣りは出来なくとも、他にレジャーは色々ある。
湖の国道沿いには、テディベア美術館 や 世界の影絵・切り絵・ガラス・オルゴール美術館 などが有り、乗馬クラブやキャンプサイトに貸しボート、レンタルサイクル等のアクティビティも充実しているから、決して物足りない等と言う事はない。
むしろここでは、釣りの方がマイナーなレジャーだ。
もちろんスキー場もあるので、もしもここに住むのなら、冬の間はスキー教室に通ってみたいと考えたりしている。
釣りは諦めて、再び湖岸を散策しながら池の平ホテル方面へと戻る。
景観を遮るものが無く、空が近くて広い。
次回は湖に映る天の川の撮影にもチャレンジしてみたくなった。
いい歳した独り者が、平日にこんなところをブラブラして、世間ズレした事ばかり書いていると、" 五月病の成れの果て " とか、とうとう" スナフキン "になってしまった、と言うような自覚も芽生えて来て、少々不安を感じたりもするのだが。
あるnoterさん曰く、
露草 ✕ スナフキン = ツユフキン
だそうだ。
こうして夕方までの後半、水辺を行ったり来たりする他無かったのだが、
都会の刺激とはほぼ無縁の、まったりとした贅沢な時間を存分に堪能し、
ここでの " スローライフ " も、なんとなく想像が出来た。
フィーリングは上々、来た甲斐は十分あった。
三日目
今日は土曜日、あっと言う間にチェックアウトの時が来てしまった。
昼のバスの時刻を目安に、残りの時間、湖の周囲をできるだけ周ってみたい。
部屋を片付け、鍵をフロントに返却してから南側を目指して歩き始める。
次回こそは釣りをしたいと思い、観光センターでも漁券を買えると聞いて、立ち寄って話を聞く事にした。
桟橋でボードの作業をしていた方に尋ねると、事務所に話が解る人がいるというので、そちらに向かう。
すると、中にいた年配の責任者らしき方から、この地の成り立ちや町の今後の事など、いろいろ興味深い話をお伺いすることが出来た。
地名は忘れたが、ここより更に奥深い場所に昔からの避暑地があったが、バブル期よりも前、中央道が開通した時に、首都圏から訪れる冬のスキーや夏の涼を求めるレジャー客の増加を見込んで、次々とここに観光ホテルが建てられたらしい。
しかし、人とは難しいものだ。
新しい道が出来ると、誰もがより遠くヘと行きたくなる性質をもっているようだ。
だから、高速道路を降りてまでここには寄り道をせず、そのまま松本方面、恐らく北アルプスや白馬に抜けてしまって、思ったほどの集客が出来なかったと言う。
それでも、標高の高さから、雪質は負けてはなさそうなので、スキー客はどうかと尋ねると、今はどこもスキー人口の減少で厳しいとのこと。
おまけに長野新幹線の開業により、軽井沢方面の利便性が更に上がり、別荘地の需要を向こうに奪われているらしい。
ブランド力にも劣るので、こちらは衰退を辿る一方だとも。
この地に残された、有名な"廃墟ホテル"群も、所有者が破産、行政が差し押さえても、取り壊しには多くの税金が必要なため、やむなく放置されている。
打ち明けてくれた古老は聡明な方で、若い頃にはこの地のために色々と尽力されたそうだが、ナシのつぶて、もう諦めてしまったそうだ。
釣りに関しても、
以前は冬の間、重量のある4WD車が載っても割れないほど厚い氷が張っていて、ワカサギの"氷穴釣り"ができたと言う。
しかし、温暖化の影響で氷は薄くなり、期間も一月程度となってしまったため、現在は出来なくなったのだと。
ニジマスも、管理釣り場から逃げ出したのが極稀に釣れるだけで、組合も力を入れていないらしかった。
それでも、はたから見ると、まだこれだけ魅力的な観光資源が残されていて、もったいない気もするのだが、実際そこに住んでみなければ、やはり実情は解らないものかもしれない。
パンフレットに書かれていない事とは、こう言う事だ。
ただ、ポジティブに考えれば、いろいろ足りないところがあると言うことは、新しい発想や工夫次第で、何かが出来る余地があるとも言えるように感じた。
さて、昼食に蕎麦屋で美味しい信州そばを頂いた後は、いよいよ白樺湖ともお別れだ。
しかし、帰りのバスに乗り込み、少し走り出してから気がついた。
「このバス、違う方向へ向かってないかい?!」
全くのおっちょこちょい、後の祭りだ。茅野駅方面へ降りるのではなく、明らかに車山方面へと上っている。
スマホで調べると、2分早い別のバスに乗ってしまったようだ。
バス停も、上りと下りが同じ場所だったのも勘違いの元だった。
「まあ、良いか…」
しまったと思う反面、名残惜しい気持ちも強かったから、自分のなかでは丁度良い言い訳になった。
取り敢えず車山まで行って、それから考えよう。
バスは蛇行したビーナスラインを走りながら、グングンと高度を上げて行く。
この時点で、やっぱり「バスを間違えて良かった」と、思えるような素晴らしいパノラマが、次々と目に飛び込んで来た。
程なくして、以前、マイカーで訪れた車山高原のロッジへと到着した。
運転手さんに尋ねると、ここが終点で、再び白樺湖へ下りるバスもあるが、このバスは30分後に上諏訪駅へと出発するらしい。
グーグルマップで経路を確認すると、ビーナスラインのかなりの距離をドライブするようだ。それなら茅野駅へは戻らず、この続きの景色を見ながら帰りたい。
料金もほぼ変わらないようだし、
正に怪我の功名。
白樺湖から車山までの景色も良かったが、それは序の口だった。
以前も見た筈だが、再びバスが進むにつれ、車窓からの眺めに思わず感嘆の声が漏れる。
昔訪れた、阿蘇の外輪山も凄かったが、やはりこの、ビーナスラインの異世界感は半端ない。
大勢のライダーやドライバー達が、ビュースポットからの眺めに目を奪われていた。
しかし、こんな景色でも、バスの客は途中から乗り合わせた人を合わせて数人、
余計なお世話だが、採算合うのか心配になる。
前回登った車山の西側登山口を通過する。
そこの、ボルシチで有名なカフェレストラン"コロボックル"は、今日も賑を見せているようだった。
7月になると、車山の斜面は一面、鮮やかな黄色のニッコウキスゲに覆われ、それもまた、感動ものの絶景らしい。
いつか必ず、好きなフィルムカメラで撮影に挑戦したい。
窓の外をずっと眺め続けていると、突然、視界の片隅から、グライダーが急上昇するのが間近に見えた。
動力の無い機体は牽引ワイヤーで、恐らく車に引っ張られ、ある程度の高度に達した後に切り離されると、自由を得て旋回し始めた。
落下するワイヤーが何故かスローモーションに見えた。
どうやらこの辺りが霧ヶ峰高原だ。
遠景に浮かび上がる富士山、
抜群のロケーション。
富士山を眺めながら、風に任せて大空を舞うのはいったいどんな気分なのだろうか?
いつか乗せてもらいたいなと思いながら、視界から消えるまで目で追い続けた。
八島ヶ原湿原を周り、蓼の海の入口を通過しながら下界へと降りる。
気圧の変化が少々しんどい。
1時間20分ほどのドライブは、あっと言う間に終わり、上諏訪駅へと到着した。
数々の絶景に、何度も途中下車したい気持ちに駆られたが、帰りの時間やコストを考えると出来なかった。
それでも十二分に楽しい時間を過ごせた。
さあ、これから再び3時間、鈍行列車で帰路につかねばならない。
しかしそれも、家路に着くための楽しいもう一つの旅だと思えば苦ではない。
駅のホームには何と、足湯があったのだが、それも次回の楽しみに取っておこう。
今回ほとんど贅沢はしなかったが、二泊三日にしては十分過ぎる、スローで濃い旅になった。
多分、車の旅では、"元を取ろうとして" アクセルを踏み、逆にいろいろと見落としていたかもしれない。
鈍行列車の旅がこんなにも楽しいとは、ハマりそうな予感がする。
思いがけず、日本の地方の現状を垣間見る事にもなったし、自分がこれから残りの人生で何をしたいのかを吟味する機会ともなった。
" 河は眠らない "の中で、心の故郷が何処かは、本人にしか解らないと、開高健氏は言っていた。
その地、ホームランド に対する魅力の捉え方は人それぞれだし、昔の人が言った " 住めば都 "もまた然り。
そして、現代はNETで絆がれる時代だ。
現にSNSを通して、理解し合える沢山の仲間に恵まれているから、何処にいても、孤独を感じる事はなくなった。
それでも、老いていくにつれ、例えば地域のボランティアなどへの参加を通し、社会的にリアルな関わりを持つことを疎かにしてはいけないとは思っている。
ここでも何か、出来るんじゃないだろうか。
果たして旅人に生まれついている自分に、終着駅があるのかどうか、
もしくはここがそうなのか。
この先もずっと、
迷いはなくなりそうにないが、
それが宿命なら仕方ない。
答えは、行動してみなければ判らない。
今回の旅の予算
電車代 昭島駅→茅野駅(往) ¥3080
上諏訪駅→昭島駅(復)¥3080
バス代 昭島Aバス(往) ¥100
茅野駅→白樺湖(往) ¥500
白樺湖→車山(復) ¥500
車山→上諏訪駅(復) ¥1800
ホテル代(楽天トラベル)
¥2500✕2泊 ¥5000
雑費 ¥2500
計 ¥16560也