退職願を早く出してください
「たぬきちさん、ちょっといいですか」たぬきちに話しかけることのない上長に声をかけられる。
「来たな」
そう思った.いつもなら、隣の席の23歳に、「それは何?」「今何してるの?」と熱心に話しかけ、たぬきちは素通りする上長がたぬきちに声をかけるのには理由がある。
退職願の催促
1週間ほど前に、係長からも聞いていた。「上長がたぬきちの退職願はいつ出そうかと聞いて来た」と言っていたので。
就業規則には退職日の1ヶ月前とあったので、たぬきちは準備はしつつ、提出せずにいた。
なんとなく。
小さな会議室で、上長と向き合って座った。初めて、正面から顔を見たように思う。焦点の定まらない目で、たぬきちを見た上長は、理解のある管理職をイメージしましたといった笑顔を浮かべて、こう切り出した。
「退職の意思は変わっていませんか」そう切り出した後、退職を希望する人に言うことになっているだろう決まり文句を言ってみたり、「働く時間を短くできないか、平日だけの勤務にできないかとか、私たちも考えた」という話をしていた。
たぬきちは知っている。この上長が、職員の勤務条件改善を夢見て、夜間の勤務の廃止とか営業時間の短縮とかを言うだけで、何も実現していないことを。
そもそも開館時間は自治体の条例で決まっている。「やれるもんならやってみろ」ほかのスタッフも心の中で思っていたに違いない。
要するに、
「あんなこといいな🎵できたらいいな🎵あんな夢、こんな夢いっぱいあるーけどー🎵」
と歌うドラえもん無しののび太くんだと言うことに気づいていないのは、本人だけ。
しばらく話したのち、オズオズとクリアファイルから1枚の紙を取り出して、たぬきちに差し出す。
退職願の原紙
「様式はこれを使って」
退職願の様式、頼んでもないのに、渡されるもんなんだなと。
「様式は知っていますし、準備もできていますので結構です」
実は、その場で渡すこともできた。が、なんだか意固地になって出さなかった。
上長の上の管理職がとてもせっかちな御仁で、上長も彼から催促されていることは容易に想像できる。それに、辞める人のことより、この先も続く仕事の継続のために人員確保は当然の事。
働き続ける人のために環境を整えるのは、管理職の務め。そらそうだ。別の22歳が来てくれるかもしれないしね。
これまた、たぬきちのけったくその問題。
けったくそが悪い
さっさと、退職願出して、人員確保してもらわないと、困るのは今一緒に仕事をしているチームなんだから、彼女たちに迷惑かけないためにも、さっさと出して然るべき。
でも、どうにもけったくそが悪い。
たぬきちだって人間ですから。
「こんな事なら、2月初旬に提出して3月初旬に退職してやろうか」なんて思う。そうなれば、困るのは上長でもその上の管理職でもない、今のチームメンバーだ。
メンバーを人質に取られて交渉している気分になる。
十数年身と心を粉にして勤めて来ても、途中退職というのは、どこまでいっても自己都合な身勝手なんだろう。
寂しいなぁ.
けったくそ悪いな。
以前YouTubeのチャンネル「リベラルアーツ大学」で両学長が「万年平社員は、組織には不要な存在」と言っていたのを思い出す。
万年ヒラ社員の厄介おばさんがさようならしますよ。
相応しい人に席を譲るのは良いことだ。
ただけったくそ悪いだけ(笑)。