もう辞める人
たぬきちを「もう辞める人」として扱う上長は、今日もせっせと新採の女子社員達に話しかけている。「本人は良かれと思って話かけている」と、他の社員が呆れながら言っていたが、個人的には、ただただ気持ち悪い。
先日、1年ほどかけて準備してきた大きな講演会を無事に終えることができた。過緊張気味のたぬきちは、開催一カ月ほど前から緊張し始め、私生活にも支障が出るほどであったが、「この職場への最大で最後の恩返しだ」そういう気持ちで取り組んできた。
講演会当日、ヒョロっと会場にやって来た上長は、準備に奔走するたぬきちに向かって一言「私が挨拶をする立ち位置はどこですか?」と尋ねただけで、すぐに会場の後方へ移動した。設営を手伝ってくれている新採の女子社員に話しかけに行くためだ。
後方でオンライン配信用のカメラを準備する彼女に「カメラマンだね。プロみたいだね」などと宣っているのが聞こえる。しかも、それが結構長い。講演会が始まって、上長は、たぬきちが用意した挨拶を噛みながら読み上げて、満足したように席に戻って行った。
講演会が無事に終了すると、聴講していた外部の関係者の方々が、「良い講演会でした」と声をかけてくれ、心の底から安堵した。直属の上司も「たぬきちさんだからできた内容だったと思っています」と伝えてくれた。
しかし、上長がたぬきちに何かを言うことはついぞなかった。もう辞める人に、労いの言葉をかけるなんて愚の骨頂だと思っているのか。すかさず、女子社員の働きには、労いの言葉をかけている。
「気持ち悪」
大きな講演会が無事に終了したことも、中堅の社員が最後の大仕事だと腹を決めて取り組んだことも、彼にとっては「どーでもいいこと」なんだろう。意識してかせずか知らんが、若い女性社員に話しかけることに必死すぎる。
「なんと、残念な組織!」
そんな上長は、「組織とは何たるか」を勤務期間の浅い女子社員達に伝えるため、幹部との交流会を企画しているそうだ。なぜか、男子社員は除外されていた。
「私だって、組織とは何か知りたいくらいです」他の中堅社員が上長に意見したそうだが、無視されたと聞いている。もはや喜劇。
「クソみたいな話だ」と失礼ながら腹を抱えて笑ってしまった。
「役目は果たした」
無事に、大役を終えて、外部に「こういう講演会をすることができる組織だ」と示すことができたと思う。これが、今までお世話になったこの組織へのたぬきちの御礼だ。
「さあ、これからはたぬきち抜きでやってください」
とは言え、困るのは短い期間で、すぐにたぬきちなんて最初からいなかった。そんな日々になるんだろうけど。
自分の能力を蔑ろにされ続け、苦しい日々が数年続いていた。否定されるばかりで、じゃあ、どうすればいいのかと聞けば「それはあなたが考えることだ」と突き放される。
企画の仕事は、正直決まった正解なんてなくて、要は個人の趣味によるところが大きい。「あんたの好き嫌いだろ」そうとしか思えなくなっていた。
「これが仕事か?いじめではないか?」これが、定年になるまで続くのかと思えば、本当に辛かった。その辛さが転じて、子どもにあたることもあった。終わりがないことへの恐怖は、無気力に変わって行った。
でも、勇気を出して、ここから脱出することにした。
転職のあてなどない。キャリアブレイクと言えば、聞こえはいいが、要するに無職になる可能性もある。「穀潰しになるかもしれない」という恐れが、毎日出たり引っ込んだりするが、「終わりがある」そう思うだけで、今は幸せになった。
上長が、今日も若い女子職員に仕切りに話しかけている。「業務妨害」そう失笑する中堅社員もいる。
「この喜劇とも永遠にお別れ」
終わりがないと思えば、苦しみであった全てのことに、何の意味もなくなった。
もう辞める人は、清々しく残りの日々を過ごします。