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思い通りの③

あらためて、自殺のおそれがある患者を守る

2重ロックの精神科病棟は

すごい。

医療保護入院。

2005年当時、その病院は、お世辞にも綺麗では無く

どちらかと言えば古臭い、

時代遅れの、暗い病院だ。

最初、母は、『座敷牢』と呼んでいた。


10畳ほどの畳部屋なのだ。

そこに、女性が6人、布団を敷いて、寝る。


動悸のせいで、絶えず不安が募り


看護師さんを頻繁に呼んでは

『心臓発作で死にそう』と訴える毎日だった。



60日間入院する間に、


主治医は、私にぴったりの薬を処方した。


パキシルだった。

初めは、胃がムカムカして、食欲不振が続き

ますます痩せた。


どんなに点滴して欲しい、とお願いしても、


『大丈夫。大丈夫。』


私の身長は168cmだが、体重は49kgまで減っていた。


地獄だった。

お腹がすいた、という感覚はあるのに、


いざ食堂で、食事を目の前にすると

恐怖で手が震えた。


もはや摂食障害、拒食だった。


周りには、リストカットの跡が凄まじい若者や


ずっと、独り言が止まらないおばあさん、

紙おむつを、付けた女性など

様々な患者さんが居た。


パキシルが効果を表したのは、30日ほど経過した頃。


その日の、昼食は、野菜ちゃんぽん麺と、バナナだった。


18年経った今でも、鮮明に記憶している。


『食べたい。』


おそる、おそる、口に運ぶ麺が、野菜が、


次々と喉まで入っていく。


前の座席で食べていた、おばあさんが、

『あら、まあ。今日は、食べるのかい?』と聞いた。

全部食べた。


いつしか動悸は止まり、


『食べたい』気持ちは、暴走し始めた。


今まで、約半年間、失った体重は15kgほど。


それから、出される食事はもちろん、


毎日見舞いに来る母には、チョコレート、


クッキー、パン、ジュース、たくさん頼んだ。


ガバガバだったTシャツや、ジャージは



いつしか、パンパン、ぱつんぱつんに。


ウエストがゴムなのにも関わらず、


ジャージが履けなくなった。


痩せた娘が不憫で泣いていた母は、


喜んで差し入れを続けた。


退院する日、体重は70kgになっていた。



顔は、別人だった。


『退院おめでとう。もう、無理しちゃ駄目よ。』


担当の看護師さんに見送られて


2重ロックの病棟を後にした。





つづく。

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