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その時々で違う シャバ―サナの時間 

オンラインで週一回ヨガクラスを受けている。
先生は、NY在住の日本人。
ヨガと言っても、いろいろあるけど、
インヤンヨガ 、陰と陽のヨガのイメージなのかな。

最後にシャバサナ(死体のポーズ)になるのだけど、
今月、そのうちの3回、その時間、全く違うことが起こったので、
忘れないように記しておく。

印象深い一回は、知り合いの車椅子ユーザーのダンサー福角宣弘さんの告別式のあった翌々日。福ちゃんは、買い物から帰って玄関で心不全になり、それまで何の前触れもなくいきなり亡くなられたと聞いていた。
福ちゃんの最後の呼吸はどんなだったんだろう? そんなことが頭に浮かんできて、知らずに涙が流れて来て、思わぬ追悼の静かな時間になった。

もう一回は、壁に腰から足先までを逆さに垂直にもたせかけたままのポーズだったが、ほとんど全くカラダのどこにも負担を感じないことが不思議な時間だった。ふわっと浮いてる感じがした。

そして、今朝のシャバ―サナの時間だが、心臓の音がものすごくハッキリ聞こえていた。つい数か月前、大したことはないが、ほんの少しだけ心電図に乱れがあると言われたので、どこだろう?どの瞬間だろう?と聴いていた。乱れはわからなかったが、心臓じゃなく、左脇腹位で脈打つのを感じた。心音は床とマットに当たってそれらごと反射して耳に届いているような気もした。

数日前のガザのデモで知り合った方が「ハイファに戻って/太陽の男たち」を貸してくれた。パレスチナ生まれのガッサーン・カナファーニー(1036~1972年)の小説。
「太陽の男たち」の冒頭、一人の男が、「湿り気をおびた土に胸を憩わせた。すると大地は身体の下で息づき始めた。」という文章を思い出した。
土に胸を憩わせる、そんな記憶は、わたしにはない。
作家は、36歳の若さで車に仕掛けられた爆弾で暗殺されたそうだ。





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