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体験記 〜摂食障害の果てに〜(38)

変化

 ある朝、ふと、いつもより気分が良く感じられました。そこで、ずっと気になっていた自由帳に、何か書いてやろう、という気が、むくむく湧き上がってきました。
(すぐそこに、ノートがあるのに、私が書こうとしなければ、永遠に書けない。)
 家族に、折り紙とあやとり用の毛糸と自由帳を持ってきてくれるよう、頼んであったのです。それらは、自分でリハビリに使うつもりでした。母は、気を効かせて、私が小学生の頃使っていたクーピーペンシルのセットと、小さい塗り絵帳、手帳も持って来てくれていました。
 でも、近くの椅子の上に置かれてあるのを見るだけで、全く使えていませんでした。使う気力も体力もなかったからです。いつも横目に見ながら、ジリジリとした気分でいました。
(そばにチャンスはあるのに、何もしない。自分は、弱虫だ。)
 と、思いました。でも、今日こそは、ノートに何か書いてみよう、せめてノートを手にしてみよう。とやる気を総動員して、看護師さんに、
「そこにあるノートと書く物を取ってください。」 
と、お願いしました。看護師さんはすぐ、ナイロン袋の中からそれらを取り出し、私に渡してくれました。
 (やった!)
 嬉しさが込み上げてきました。懐かしい親友に会えた、そんな気がしました。しばらくノートを手に眺めていましたが、腕が疲れて、枕元に置きました。書こう、書こうと思うのですが、なかなか書く力が湧いてきません。第一、字を覚えているかどうか、怪しかったのです。心臓が一度止まり、死後硬直のように冷たくカチコチになったのだから、脳にもいくらか、支障が出ていてもおかしくない、と不安だったのです。
 窓の外は、雨でした。春の雨が、灰色に曇った空から、ほつほつ、銀色に滑り落ちていました。
 ふ、と胸の内に、言葉が浮かんできました。私はその言葉を逃さないように、ペンをとり、ノートの真っ白な第一ページに書き出しました。ふにゃふにゃのミミズの這ったような、か細い文字が並びました。
 初めての詩のようなものができました。
 自分にとって、優勝のトロフィーのような、記念すべき作品ができました。嬉しくて、何度も何度も見返し、笑顔が湧き出てきました。字が書けた。それがとてつもなく、嬉しかったのです。
(もう一つ、書いてみよう。)
 ノートを左手で持ち、寝たまま、右手で書く。書けることの喜びは、何物にも代えがたく思えました。
 夕方、面会に来た母に、ノートを見せました。
「これ、久美が書いたの⁉︎」
 母は、目を剥いて驚き、詩を読んでくれました。
「信じられん。本当か⁈」
 父も驚いて言いました。私は、今日は、すこぶる気分が良いこと、字が書けて、とても嬉しいことを伝えました。
 家族が驚くのは、当然でした。私は全く聞かされていませんでしたが、その前日、主治医の先生から、
「もういつ死んでもおかしくないから、面会を自由にします。助かりません。」
 と、言われたばかりだったのですから。家に帰った父と母は、留守番をしていた私の弟にその様子を話し、大いに驚き合ったそうです。
「奇跡が起きた。」
 家族みんなでそう言い合ったそうです。母と弟は、毎日、神棚の水と榊(庭の木の枝)を替え、私が治ることを祈っていたそうです。私が、毎日、庭などの花や木に水をあげていたので、
(きっと願いをきいてくれるのは、植物の神様だ。)
 と、一心に祈ったそうです。家族は、『神様は、本当にいる』と、信じたそうです。

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