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体験記 〜摂食障害の果てに〜(20)

 痰も、ひっきりなしに出てきて、度々喉に詰まりそうになりました。自力で出せない時には、看護師さんに器械で吸い取ってもらいました。痰を吸い取る器械は、細いチューブで、水を溜めた容器がくっついていました。その容器に吸い取った痰が落ちるのです。ベテランの看護師さんは、喉に擦れることなく、痰を素早く取ってくれるので、安心してお願いできます。でも、一年目の看護師さんだと、鼻からチューブを差し込んで喉まで通すので、喉にチューブの先が擦れ、痛くて、「オエッ」となりました。
 痰は出ても、唾は出ず、口の中は、体育の時に使ったマットを触っているように渇ききって、カサカサでした。昔、砂漠で遭難して、何日もさまよった挙句、オアシスを見つけてゴクゴク水を飲むシーンを、映画で観ました。でも、あれは大嘘だと思いました。脱水症状に陥って、喉も口の中もからっからに渇ききり、裂けたり荒れたり、口内炎の数十倍もひどい有様になっているのに、普通に水を飲めるわけがないのです。一口、水を含んだ途端、真夏のアスファルトに投げ出されたミミズ同様、のたうちまわるでしょう。
(冷たい水をごくごく飲めたら、おいしいだろうなあ。コップ一杯、思いっきり飲んでみたい。水水水水……)
 とうとう看護師さんに、
「飲まないので、口を濡らすだけのお水を下さい。」
 と、お願いし、度々、スプーンで水を一滴、唇に垂らしてもらいました。
 そんな時、ふと親戚のおばさんのことを思い出しました。おばさんは、誤嚥性肺炎で、水一滴飲めず亡くなりました。病室で付き添っていた娘さんは、あまりに母親が可哀想で、水に濡らしたガーゼで母親の口を濡らしてあげていたそうです。自分が同じ目に遭って、初めて、その辛さがわかりました。
(おばちゃん、可哀想に。どんなに水を飲みたかったろう。可哀想に。)
 水水、と渇望しながら亡くなるなんて地獄です。原爆に遭って、水、水、と川に向かった人たちの絵を思い出しました。どんなに苦しかったろう、かわいそうに……涙が出てきました。それに比べれば、まだ私はましです。スプーン二杯の水は飲めるし、いずれ治ったら好きなだけ水を飲めます。いつ治るかわからないけれど、もう少ししたら、きっと治る。またゴクゴク水を飲めるようになる。そう自分を励ましました。
 脱水が酷くなったので、水を点滴してくれました。水が入ると、体が潤って、気持ちよくなりました。血管に水を入れてもよいとは、されてみるまで、知りませんでした。でも、時間が経つにつれ、また体が干からびて、ミイラになった気がしてきました。毎日、水を入れて欲しかったけれど、二度入れてもらえただけでした。
 膵臓の状態を診るため、主治医の先生は毎日、私のお腹を真ん中から左にかけ、三箇所ほど押しました。そして、
「痛いですか?」
 と、尋ねました。鈍い痛みがしました。「痛い」と、答えると、「膵臓の値がまだ下がらない」と、言われました。

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