「久米島の戦争」を見て ブログより再録「映画『沖縄スパイ戦史』の衝撃」
昨夜、NHKのEテレで放送されたETV特集「沖縄・久米島の戦争 なぜ住民は殺されたのか」を見て、大きなショックを受けました。
6月23日のいわゆる「組織的戦闘の終結」以降や、8月15日の終戦以降に日本軍が行った、島の住民をスパイ扱いした挙句の虐殺という蛮行。
その背景には三つのポイントがありました。
一つは、日本軍の偏見です。食料や労働力の面で住民を軍に大いに協力させておきながら、沖縄県民には日本軍に対して従順でない傾向があると決めつけ、アメリカ兵とちょっとした交流(例えば、卵と交換で子どものための風邪薬をもらうこと)を持つなど些細なことでスパイ視しました。
二つめは、住民同士の相互監視です。生き延びるために必死だった島の住民たち。ある者はアメリカ軍に庇護を求め、ある者は日本軍にすがる。忖度と疑心暗鬼により、密告が蔓延しました。
三つめは、アメリカ軍がこうした動きに無関心であったことです。沖縄本島で捕虜になった久米島出身の兵士を、アメリカ軍は久米島上陸の際の案内役にしたのに、彼の身の安全に配慮しておらず、彼は島内を逃げ惑った末、日本軍によって妻・幼い子と共に虐殺されました。
中国大陸や南方で捕虜を虐待して軍事裁判にかけられた軍人たちと異なり、久米島駐留の旧日本軍は、戦後告発されたにも関わらず断罪されることはなかったといいます。
長い沈黙を経て証言した島民の皆さんの表情に表れる葛藤、そして久米島に駐留していた日本軍元兵士の娘さんの、振り絞るような謝罪の言葉。
本当に重い番組でした。
沖縄戦の秘話と言うと、近年では「沖縄スパイ戦史」という映画もあり、私もこの5月に鑑賞しました。
10年余り投稿を続けた「ウェブリブログ」が閉鎖されるのを機に始めた、このnote。ブログに投稿した記事の中から、投稿から間をおいても、しばしば閲覧されている記事をさかのぼってピックアップし、再録しています。沖縄戦の、あまり語られてこなかった一面を扱ったこの映画の感想を、ここに載せておきたいと思います。
2022年5月25日付の記事、映画「沖縄スパイ戦史」の衝撃 です。
以下、再録
2018年の映画「沖縄スパイ戦史」を観ました。
沖縄戦については、人並みには知識を持っているつもりでしたが、知らないことが次々に出てきて、衝撃でした。
映画の内容を、公式サイトの作品解説より引用します。
第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。
第32軍・牛島満司令官が自決する1945年6月23日までが「表の戦争」なら、北部ではゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続いた。
作戦に動員され、故郷の山に籠って米兵たちを翻弄したのは、まだ10代半ばの少年たち。
彼らを「護郷隊」として組織し、「秘密戦」のスキルを仕込んだのが、日本軍の特務機関、あの「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちだった。
1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。
ある者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。
身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは。
そして彼らがもたらした惨劇とは……。
「護郷隊」の元隊長が、戦後沖縄に贈り続けたソメイヨシノは、亜熱帯の沖縄には根付かず、「護郷隊」元隊員が友の慰霊のために植えているカンヒザクラは力強く花開き、遺族の心を慰めている…
終盤のエピソードが印象深く心に残ります。
まだ10代半ばの少年たちをゲリラ兵として組織した「護郷隊」。
軍命による移住で強いられたマラリア地獄。
敗残兵の暴走のみならず住民たちの相互監視で頻発したスパイ虐殺。
当事者や遺族たちの、概ね淡々とした証言が積み重ねられ、戦後70年以上語られてこなかった「秘密戦」の真実が、一本の線で繋がります。
・軍隊のあるところ、必ず秘密組織が生まれ、
住民はあくまで都合よく利用される。
・基地や弾薬庫のある所は敵の攻撃対象となる。
・不安と恐れ、疑心暗鬼が相互監視とスパイ疑惑を生む。
こうした軍隊と住民の関係に潜む本質は、残念ながら、今も変わっていないようです。
というのも、この映画で私も初めて知ったのですが、「自衛隊法」や「野外令」「特定秘密保護法」などの条文の端々に、旧日本軍の思考・発想の残滓がしぶとく生きているのです。
見終えて、かなりショックでした。
正直、ちょっと迷いましたが、この映画について、ブログに書いておくことにしました。
後の世代に顔向けできないような自分ではありたくないと思うからです。
以上、再録終わり
ETV特集「沖縄・久米島の戦争」は、8月24日の深夜24時からEテレで再放送されます。
多くの方にこの事実を知り、現在の国防のあり方を考える一助にしていただきたいです。
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