覚悟の話
過去にそれなりに大きな仕事はいくつもしてきたつもりだ
ところが、思い返せばほぼ意図してる事ではあるけれども、本当にやりたかった事は違っていた
やりたい事はなかなか残せてない
なんでかって言うと、おそらく私のやりたい事は空気のようなものだから認識されにくいのだと思う。このnoteを書いててそう思った
ある時自分の職場の価値を高めるにはどうしたら良いかを考えた
このままでは嫌だったから
価値の見出せない「右にならえ」の風土に合わせたくなかった
私は自分でないとできないことをしたい。サラリーマンとしては価値を作らないとね
職場の仲間は私が何するかわからないヤバいやつと思ってかも知れない
私はみんなとわちゃわちゃ、あーでもないこーでもないと必死になって議論して何か大きくて普通じゃない事を起こせる雰囲気を作りたかった
そう空気を作りたかったのだ
そう。空気は残らない。それでもいい。
その為の手段として、あることをやった。会社の常識を逆手に取って業界を巻き込んでちょっとしたことをやってやった。それが評価されて、さらに調子に乗って何個か仕込んでた手段を積み上げて既存の枠組みをぶっ壊してやった
すると、望み通りあーでもないこーでもないとみんなかまわちゃわちゃ動き出して楽しかった
自分としてはここで満足はしてるんだけど、世間ではそこを見てないのだ
あの時の仲間はあの経験を持って大きく成長したのに
残ったのは手段として用いた改革策ばっかりだ。その方がわかりやすいのかな。誰だって思いつくような話なのに(実際そう言われた)そこにかけた熱情は誰も見てくれない
最近はそう言うもんだと思うようにしてあんまりやりたい事を他人に言わないようにしてる。自分以外に意味ない
たまに聞かれはするけど、人は実績と言う手段の結果しか見てなくて、あまり共感は得られない
熱情は内に秘めておくだけでいいと思う
結果の積み重ねでそのうち熱情は伝わる
スタートアップがきゅうきゅうとしているのは資金がないからで熱情を優先させて実績がないからお金を借りにくいのだろう
まずは一歩。やりたいことの為に信用される結果を残す。
と最近やっと腹をくくれるようになった。熱情は結果を出すまで諦めない力になればいい
もちろん、そうじゃなかったってこともあるだろう。結果の状況でやりたい事の一つもできない事だってある。ただ、そんな事でやめちまうならそれだけの熱量ってことだ
私の結論なんだけど、本当の想い、熱情、やりたい事は言語化する必要はない。適当な言葉で誤魔化せばいい。人に理解を求める代物ではないのだ。結果を出していって積み重ねて他人にはなんとなく感じてもらうくらいでいいのだ
共感は要らない。最低限の指針があればいいだろう。なんか取り繕ってもどうせバレる。チームでやる時には離反も覚悟だ。その態度が熱情なのだ
この章はここまで
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