好きな曲は好き~Canvas/赤い公園~
はじめに
先日、赤い公園についてすこしお話ししましたが、
今日は赤い公園の『Canvas』という曲についてお話します。
この曲は多くのポップな曲とは異なり、優しくて少ししんみりするようなバラードのようです。
甘いかおりとひとひらの寂しさ
『淡い淡い気持ちが近頃急いでる
さよならの色がこの街にとける
甘い甘いかおりに誘われ踊ってる
でもね
ひとひらの寂しい心に気付いてる』
高校生になった時、私は地元を出ました。
約100 km離れた高校への進学を決めました。
私は中学生の頃に、地元に嫌気がさし始めていたため、「やっとここから抜け出せる!」という気持ちでした。
友人や先生と別れる時も泣きませんでしたし、実家を離れるときも、とても悲しいということもありませんでした。
あまりにも淡々としていたため、父親に「寂しくないのか」と聞かれたほどです。
ただ、ぼんやりとしか想像できない世界への期待と、新しい環境への不安がありました。
そのため、『甘いかおり』が“新天地への期待”で、『ひとひらの寂しい心』が“地元を出る心境”でした。
ほんの少し、寂しさと不安がありました。
早くここから出たいけど、なんとなく不安で寂しい。
そんな気持ちです。
人によって眩しい春の季節は違う
次の歌詞です。
『ぼくらの日々まで 春はさらっていくの
やけに眩しくて 途方に暮れる』
この歌詞を聴いたとき、「奪われたくなかった“日々”があったんだな」と思いました。
奪われたくないと思えるほど大事で素晴らしくて、ずっと大切にしたい日々が。
時は無常に過ぎるし、不可抗力で周囲の環境は変化します。
“春は出会いと別れの季節”というように、自分ではどうしようもない出来事で、奪われてしまった日々があったのでしょうか。
高校生の頃、私にはこの歌詞が理解できませんでした。
私は望んで日々を替えたし、それがたまたま春だっただけです。
むしろ待ち望んだ春です。
しかし、春を季節という枠ではなく、“タイミング”だと考えると、なんとなく納得がいきました。
“心機一転のタイミング”を春と表現することもあるでしょう。
それが暦上は夏でも冬でも、本人にとってはきっと春のような気持ちなのではないかと。
また、後半の『眩しくて途方に暮れる』という言葉が大好きでした。
いくら自分が切望した世界に行くことができても、希望だけではなく、不安はついてきます。
望んでいたからこそ、「こんな素晴らしい世界でやって行けるかな」という不安です。
このように、希望があるからこそ、一歩踏み出すのが怖くなるような“ホモサピらしさ”をこの歌詞から感じました。
醒めるのは一瞬でも消せない夢があるの
次の歌詞です。
『長い長い夢から
醒めるのは一瞬で
消せない
さよならの光
心は気づいてる』
私は高校一年生の時に最初の大きな挫折を経験しました。
これまで、学年やクラスで成績でいちばんにしかなったことがなかったのですが、進学では真ん中ぐらいでした。
当時の私には衝撃でした。
当然、地元では専門学校や近くの商業高校に進学する子が多いため、地元でのいちばんが通用するものではない、と頭ではわかっていましたが、数字で突きつけられるとつらいものがありました。
ぼんやりと思い描いていた楽しく充実した高校生活は一瞬で打ち砕かれ、現実と向き合う日々が始まりました。
それでも、大学に進学した今、高校生活は勿論素敵な思い出ではありますし、出会った友人も大切です。
しかし、当時は体力も精神もいっぱいいっぱいの状態で日々を過ごしていました。
また、今この曲を聴いて感じることもあります。
いろんな記事に書いていますが、最近私は大きな失敗をしました。
約7年間私が目標としていたことを達成できませんでした。
頭では夢は終わったし、もう叶う可能性の方が低いとわかっているのに、私はいまだにその夢を諦めることができていません。
…こんな言い回しをしているように、です。
周囲の人も、私が完全に諦めることができていないのを解ってくれていて、将来もう一度挑戦したい、という私の話を肯定してくれます。
でも、もう諦めて違う道を進んだ方が、将来の自分の心の負担が軽くなって幸せになるんじゃないか、とも思っています。
勿論、違う道を選んで、幸せになるのかもしれませんが…
だからこそ、『長い長い夢から醒めるのは一瞬で、消せない。さよならの光、心は気づいてる』のです。
上手くいきませんね…。
私だけの、あの眩しい春は美しくにじんだ
次の歌詞です。
『これから何度も同じような季節が来ても
二度とない気がしてる
今だけは』
ここは特に一つ一つの言葉をかみしめるように歌われています。
私が高校生の頃に感じた“春”も、今感じている“挫折感”も、その時だけのものです。
大事にしてあげたいと思います。
大事にできていない時もありますが、前回書いたように、未来は不透明だけれど感じた“痛み”は確かです。本物です。
『ぼくらの日々まで春はさらっていくの
やけに眩しくて 途方に暮れる
花のアスファルト
風になびいたスカート
やけに焼き付いた
ちょっと滲んだ
淡い淡い気持ちが近頃急いでいる
ひとひらの祈り
時よ 止まれなんて』
私の失敗は、惜しいところまで行った失敗です。
だからこそ、余計に苦しいです。
一瞬明確になりかけた幻が、ずっと焼き付いて消えないのです。
消えないからこそ、苦しいですが、やっぱり美しいのです。
何度も、あの美しいままで終わってほしかった、と。
こんな美しい景色に悲しい気持ちを付加したくないと。
惜しいところまで行ったときに、確かに感じたわくわく感は、私だけの春です。
たぶん一生滲んだままになるのかもしれません。
それでも、眩しかったです。
さいごに
この曲は、喜ばしい春というよりも、こんな私の悲しみに寄り添ってくれる曲だと思っています。
何度も何度も聴いて、大事にしたいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。