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好きな曲は好き~S.S/パスピエ~



はじめに


今日はパスピエの『S.S』という曲についてお話しします。

以前はパスピエの『スーパーカー』についてお話ししました。

この曲は私が中学生の頃に聴いていた曲です。
これまでの記事でもお話ししたように、それまでJ-popを聴いていた私にとってサカナクションやベボベ、パスピエ、ハルカトミユキとったアーティストはとても衝撃的でした。
それぞれが唯一無二で、一口に音楽と言っても幅の広さとその深さが違っているように感じました。



PCの横に飾りたい歌詞

まず、この曲はイントロが印象的です。
ジャン、ジャーン、と一気に複数の音が入っていく感じ。
なんですけど、ピアノのメロディが入ることでそんなに尖った感じがしない、軽やかになっているような気がします。

感情はおいくら 見積書頂戴な
だって人生は打算だもの
珠弾いて横顔なくせよ

中学生の私にとって「感情を売る」という表現が初めての感覚でした。
そのあとの『見積書頂戴な』というインパクトのある言葉に流されてしまいそうになりますが、このような感覚はありませんでした。
しかし、中学生の捻くれてねじ曲がった心を持っていた私にとっては思い当たることもありました。
私の中学生活は教員と同級生の中で、感情と自分の立ち位置をコントロールして円滑に、柔軟に生きていました。
絶対に今よりも今苦生きることができていた自信があります。
それは勿論幼馴染だらけの同級生と、先生のことをなめて見ていたからだとは思いますが。
同級生と教員が私に期待している、望んでいる立ち位置を理解して、それ以上も以下も絶対にしないように、生きていました。
「感情まで売っていた」とは断言できませんが、「私らしさ」は売っていたような感覚です。

その後METAMUSE(zoc)の『family name』で「感情を売る」という表現が出くることで、そうやって「感情を売る」ということをほんの少し実感するようになります。

『平成も十代も余裕で捨てて
 その先の狂気に値札つけて
 いらない感情しか売らないから
 消費されたって消えはしない』

打算』とは特に損得を勘定することだそうです。
つまり『人生は打算だもの』は、人生とは損得勘定をしながら生きていくもの、と言っていることになります。
中学生の頃は実感ありませんでしたが、最近はわかるようになりました。
私はどちらかというと根本に自己犠牲心が割とある方です。
でも最近は自己犠牲ない人の方が心身健康に生きることができるのではないか、そうやって生きている方が適応的なのではないか、と思うようになりました。
そう思いつつも、実践できていないことが直近の悩みです。
損得勘定をしながら生きるということは自己犠牲をすることになったとしても、自分に返ってくる利益がそれを上回るものでないと得ではない、ということですよね。
…パソコンの横に『感情はおいくら 見積書頂戴な だって人生は打算だもの』って飾ろうかと思ってきました。

珠弾いて横顔なくせよ』もそろばんの珠をはじくことに一生懸命になって、どんどん首が前に傾くことで髪が顔を隠している様子が目に浮かびます。

単調な暮らしにあげたいわ
それはさながら高性能なギフト
忙しい言葉の上級者

ここの歌詞は、「単調な暮らしにあげたい高性能なギフト」がそのあと出てくるだろうとして、『忙しい言葉の上級者』という意味がよくわかりませんでした。
未だによくわかりません。
私がよく解釈できない原因は、おそらく「言葉」が「者」だと読み解いているからです。
他の人がこの歌詞をどの様に分解するのか、興味があります。
…私気になります!(cv.千反田)



S.Sって何

S.S さらって さかしまなポーカーフェイス
奇をてらって浮世で笑う
S.S 意味ない 駆け引きなんて正気の沙汰じゃない

この『S.S』が何なのかが重要になってくる歌詞だと思いますので、一旦置いときます。

さかしま』とは、逆、道理にかなわないことだそうです。
また、『ポーカーフェイス』や『笑う』という言葉が出てきたことによって、人の「生き方」あった視線が、一気のその人の「表情」に移ったように感じます。
「奇をてらう」とは、わざと普通と違う行動をして、他人の注意を引こうとすることです。
さらって』もただの行動なのか、誰かへの欲望なのか。

解釈が分からなくなってタイトルを見ましたが、タイトルもS.S、それじゃあアルバム名は…?と考えたところで、ちょっと道筋が見えました。

この曲が収録されているアルバムは『演出家演出』です。
演出がいるのは映画というよりも舞台のイメージです。
「演出家 舞台 SS」で検索してみました。

すると、「ステージサイドスポット(S.S)」という照明が出てきました。

スタンドやタワーにスポットライトを設置し、舞台の袖幕の間から舞台を照射する可搬式の照明器具を“ステージサイドスポット(S . S)”といいます。S . Sによる横からの方向性のはっきりした明かりは、人物や舞台装置を立体的に見せるだけでなく、時間の経過に伴って光の方向が変化する明かりづくりなどに有効に活用されます。また、紙吹雪を使った雪の降るシーンでは、舞台の両サイドのS . Sを使って、下から斜め上に光を当てることで、美しい劇的な効果をあげることができます。
https://www.marumo.co.jp/first/chapter_4.html

つまり、舞台上で使用されるこの照明器具がS.Sではないかと考えました。
次の考察は次のサビで。



保険かけるなよ

大盛況ですどうも フラッシュはご遠慮、お願いストップ!
賛同の数さえ疎ましい時代の中で
最後の切り札 免罪符は破って捨てろよ

先ほど「S.Sが照明である」と定義したので、ここの、『フラッシュ』が腑に落ちます。
賛同の数さえ疎ましい』とはマジョリティやマイナリティ、さらにはサイレントマジョリティにかかわることなのではないかと考えました。

最後の切り札 免罪符は破って捨てろよ』は、「保険なんてかけんなよ」って言われている気がしました。
打算で生きていると、最終的に自分が得をするように立ち回らないといけなくなると思います。
その時、関わる他の人のせいで自分の得が危うくなった時のために保険を掛けた言動もするでしょう。
それを、「そんなことすんなよ!」って言っているように思えました。

Cメロです。

言いたい言えない 
形を失っては宙に舞った
倫理と不条理の間で

倫理』とは人として守るべきこと、
不条理』とは事柄の筋道が立たないこと、道理に合わないこと
だとすると、その間で宙に舞っているのは、「葛藤しているからだ」と思いました。
道理に反するけど言いたいことと、道理にあうけど言えないこと。
例は出せませんが、感覚として経験があることです。

1 秒前と2 秒前と3456 さかのぼって
置き去りだった日が時間差で駆け回って
消えてしまう前に

消えてしまう前に』という部分がまた「照明」に繋がる言葉だと思います。


演出のダメ出し、上手く生きるし

S.S さらって 所詮机上の空論
大体ダメだって そんなんじゃ伝わんない
S.S 照らして 全部見抜いて 裏切り御免さ

S.S』が「照明」であると定義すると、『さらって』は願望の様に思えました。
大体ダメだって そんなんじゃ伝わんない』は、演出家が演者にダメ出しをしている様子が伝わりました。
この時、感覚的な言葉でダメ出しをされると何が悪いか伝わらず、困るんですよね、身に覚えがあります。
後半は直接的な『照らして』が出てきました。

このことから、
周りの視線や意識の的になる人生を生きているときに、上手い生き方をしないと生きていけないからね
と言われている気分になりました。
所謂、「上手い生き方」をしていると、ポーカーフェイスは必須だし、頭の中で考えるだけではなく、実際に接する人間を見て合わせないといけないし、自分の気持ちも誰かも裏切らないといけないでしょう。

さあ!さらって さかしまなポーカーフェイス
奇をてらって浮世で笑う
S.S 意味ない 駆け引きなんて正気の沙汰じゃない

そんなことが詰まっている曲だと思います。


さいごに


ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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