『みだれ髪』考察『臙脂紫』編


先日購入した『俵万智訳 みだれ髪』の第一章
『臙脂紫』に載せられた歌のうち、
三首ほどを自分なりに解釈して
紹介したいと思います。


『俵万智訳 みだれ髪』は与謝野晶子の歌集『みだれ髪』に収められた本歌に対して現代語で解釈した(チョコレート語と言うそうです)
が添えられているのですが、俵さんのあとがきに【『みだれ髪』には事実曖昧で難解な歌が多い。(後略)『鑑賞日本現代文学32 現代短歌』より】と載せているとおり読んでみると「?」の連続でした。
私も文語体で歌を作る事を趣味としており、解り難い語彙は辞書をひけば簡単に理解できるだろうと思ったのですが甘かったです。
それで本を丸々パソコンに書写し、文節、文法を調べあげ、意味を自分なりに解釈して俵さんの「チョコレート語訳」と比べてみる事にしました。
そしてやっと第一章『臙脂紫』を写し調べ終えたわけです。
主にまだ若き晶子と与謝野鉄幹との恋愛を詠んだ歌群ですけど今回は読んでいて難解と思ったもの2首と個人的に「好きだな」と思った歌1首を「チョコレート語訳」と共に紹介したいと思います。

●雲ぞ来し夏姫が朝の髪うつくしいかな水に流るる
(夏姫が朝の黒髪梳くごとし水に流れる青空の雲) 俵万智訳
水面(川)に映る空の雲が夏姫(乙女)の梳いた黒髪のように美しい。と俵さんは訳していますが、
私の捉え方は少し違っていて、
『黒髪を洗う水面に夏の雲が映る。ますます水に揺らめくわたしの髪の美しいことよ。』
となりました。
ます、一句目の「雲ぞ来し」の「ぞ」は強意を表す係助詞。現代語で表せば
「夏空、その蒼に透けるような雲よ!」
という表現に近いのかなと、。
そな後に続く原文を訳してみると
『夏姫の朝の髪が水に流れて美しいことよ。』
臙脂紫全体を読んだかぎり、ナルシシズムを思わせる歌が多いことからこの歌も、夏姫(乙女 わたし)が長い黒髪を洗うため、水に髪を放していると水面に朝の夏の雲(絹雲のような細い雲)が映り、洗う髪がますます美しく感じた事を詠んだのではないかと。


●とや心朝の小琴の緒のひとつを永久に髪切り捨てし
(四弦の小琴の一弦切るように神様が切る恋の一弦) 俵万智訳
歌意を汲み取り短歌として再生するとなると俵さんが示したようなすっきりとした文節になりますが、もう少し噛み砕いた解読をしてみました。
一句目の「とや」は格助詞「と」に「や」が付いた連語、この歌では疑問を表し「とや心」で
『(それが神の)本心なのでしょうか?』と解釈。
歌全体を見ると初句切れとなっており、二句目以降で一句目の疑問の理由を述べているわけです。現代語の文章に直すと
『それが神(貴方)の本心なのでしょうか?この朝、わたしは小琴の弦のひとつを永久に断ち切られたような心境です。』
晶子の恋の相手である与謝野鉄幹の言葉、若しくは仕草に傷ついた女心を詠んだものかと、。

●小傘とりて朝の水くみ我とこそ穂麦あをあを小雨ふる里
(傘を手に朝の水くみする我や穂麦あをあを小雨ふる里) 俵万智訳
特に難解ではなかったのですが、今回新たに読んだ晶子の歌の中で「いいなぁ」と思った歌のひとつなのて取りあげました。
小雨降る朝、水くみする情景を詠んだ歌なのですけど、情熱的、または内面の葛藤を描いた恋歌が多い中で潤いを感じさせる一首です。
ただ、前にも述べたように晶子独特のナルシシズムは感じますが、。
この歌のポイントは三句目の「我とこそ」にあると思います。
「とこそ」は「と+こそ」の連語で「こそ」が接続詞「と」の受ける「穂麦あをあを」を強める働きがあります。
文節の頭が「我」なので現代語訳だと
「わたしも麦の穂も青々」です。
全体をまとめれば
『傘を手に朝の水くみをする。わたしも穂麦も青々と輝く小雨降る里』です。

以上、代表として3首を取りあげてみましたが、『臙脂紫』98 首のうち、私が難訓としてチェックした歌は18首でした。
まだまだ読み込みが甘い部分があるので繰り返し読むうちにもっと増えるかも知れません。


最後にこの章に収められた歌のうち、歌が好きな人なら
一度は目にした事があるのでではないかと思う有名な作品を俵さんの訳と共に紹介して〆た
いと思います。

●その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
(二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のビーナス)

●清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
(祇園よぎり清水へ行く桜月夜こよい逢う人みなうつくしき)

●やは肌のあつき血潮にふれもみでさびしからずや道を説く君
(燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの)

●なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
(なんとなく君が待ってる気がしたの花野に出れば月がひとひら)




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