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母の死 母からのメッセージ2
前回の話しの続き
1日目を終え、通夜の日になった。
次々と懐かしい顔の親戚や、母の友達、
近所の方が来て下さった。
東京から弟達も帰って来た。
3人とも泣き腫らした顔をしていた。
朝1番から山口さんが来てくれて
食事の手配やら、香典返しの準備などもテキパキと手伝って下さった。
式で挨拶する手紙も書いといてね
と言われていたがすっかり忘れてしまっており、
当日慌ててしまった。
旧統一教会のお葬式は韓国と同じで、
式には白い服を着る。
だから母のお葬式当日は
白と黒の半分ずつの式だった。
私は迷ったが、母が白い服を着ていたので
白いワンピースを着た。
父も弟達も皆黒いスーツを着ていた。
実はその日、
母は私の結婚式にも着ていた
白いツイードのスーツを着て、
来られた人達に挨拶していた。
誰にも見えてなさそうだったが、
1人教会の母の友達が
お母さんも挨拶されてるね、
と私にボソッと耳打ちした。
やっぱり居るんだな。そう思った。
通夜は父の兄弟、弟達、その奥さんに子供に
大人数になって、
広かった部屋もいつの間にか一杯になった。
大好きだった祖母にそっくりな父のお姉さんが
こんなに痩せてしもうて、辛かったな。
と大阪弁で言いながら泣いていた。
夜も更けた頃、皆お酒を呑んで、
騒がしく過ごした。
食事の準備やら、挨拶やらで
てんやわんやだったので、
母がどこにいったのか分からなくなり、
その日はもう出て来なかった。
葬式の日の朝
祭壇はとても綺麗に飾られ、
母の宗教の垂れ幕も飾ってもらった。
遺影は生前母から絶対これを使ってね。
と言われていた写真を使った。
ふっくらとした、
まだ母がかなり若い頃の写真だった。
母は献金をたっぷり行った功労者だったので
当時の教会長まで弔問に来られた。
母の好きなフリージアは季節的に手に入らなかったので、
それに似た黄色い花と、
私が好きなカサブランカを沢山使ってもらった。
百合の香りが式場に漂っていて
全然葬式っぽくなかった。
喪主の挨拶で、父は途中言葉に詰まってしまった。
途中、といっても
今日は、来て下さりありがとうございます。
しか言えず、震える声で
涙を堪えるのに必死で
それ以上は何も言えなくなっていた。
私はその次に挨拶だったので
何か言わなきゃとは思ったが、
挨拶自体する事を忘れてしまっていたので
母の武勇伝を語るだけに留めた。
とにかく最後まで頑張った。お疲れさま。
ゆっくり休んで下さい。
そんな事を言ったと思う。
母が眠る御棺に、皆次々と花を入れていった。
百合の花だらけになった母に最後の挨拶をして、
霊柩車に運ばれ、
霊柩車が行ってしまう時
母が、少し後ろで少し名残惜しく、
けど満足したような表情で
霊柩車に頭を下げていたのが見えた。
※母の死 母からのメッセージ3に続く