今日はこんな感じ、自分。
ちょっと前の今日。
今日の夢。
大泣きしながら自分が何か訴えてて、
とにかく悔しくて、
あとはなんか、もみじがでてきて、、、
もみじが、なんか、でてきた。
なぜもみじ?という感じで、とっても記憶はあいまい。
だけど、唯一覚えてることがあって、
起きた時、ほんとに泣いてた。ってこと。
涙は出てないんだけど、鼻で短く息を何回も吸うあの泣いてる時特有の息遣い。
その状態で目が覚めた。
目が覚めてもその過呼吸みたいな状態が止まらなくて、でも頭は冷静で、不思議な感じだった。
不思議な夢を見たらとりあえず夢占いを調べるのがくせなので、信じるか信じないかは結果を見て決めようと思って、
「泣いてる夢 起きても泣いてる」
と検索。
すると、大泣きすればするほど大吉!いい夢!あなたの人生がガラリと変わりますよ!的なことが書いてある。
む。
あやしい🤨
でもまあ、悪くはないか。よかった。
なんて思いつつも、その占いを頭の中のG席57番あたりにご招待し、「とりあえずこの席にどーぞ」と言っておいた。
(頭の客席のキャパは狭め。よってG席は後ろの方)
それにしても、今日は憂鬱な気分で暗い気持ち。
自分から発されるエネルギーはほぼゼロ。
こんな気分でも、頑張って目覚ましを止めて布団から出る人や、くだらないダジャレなんかを言って場を和ませる人や、駅で靴を踏まれても睨みつけない人がどこかにいるんだろうな。
しかし、こういうかっこいいヒトたちを想像しても全然ポジティブにならない。
よし自分も!って思えない。
なんなら自分のだらしなさに残念な気持ちになる。
ほんとにため息でちゃうよ。
今日はこんな感じ、自分。
ドラマとか、映画とか、本とかだと、こういう気分の描写のあと、すぐに変化やきっかけがあって、主人公は変わっていく。
でも現実だとアクションを起こすのはいつも自分。
曲がり角でどんって人とぶつかったり、おばあちゃんが持ってる紙袋が破けて、中身のりんごが全部転がっちゃって、拾って、お礼に一つりんごをもらうとか、そんなのも、自分が外に出ないと始まらない。
ドラマとかならカットされる時間。
チャイを作った。
スパイスを煮て、いい香りがしてきて、豆乳をいれて、コップに入れる。
ゆっくりゆっくり星野源の曲を聴きながらつくる。
おいしかった。
自分はなにかを作るのが好きなんだな。と思った。
でも憂鬱には勝てなくて、まただらっとする。
自分が一歩も外に出てなくても、変わらず世界は回ってることを考えると、また、ため息が出る。
「そこにいるだけでいいんだよ。」
そんな風に言ってくれる人がいるかな?
そんな風に自分で思えるかな?
思えないな。
ここにいるだけでいいはずがない。
今の自分が誰に認めてもらえるんだ。
こんな時は外に出る。
散歩をする。
誰が見ても
あの人は行き先がないんだな
とわかるくらいにうしろ重心でとぼとぼと歩く。
歩いていると、住宅街に家2軒分ほどの空き地があった。
そこには、「あの目を奪うような鮮やかな黄色」のイメージとは真逆の「真っ黒なひまわり」が、まばらに少しだけ生えていた。
電車の中で目線の行き先が迷子になり、仕方なくスマホを見ているサラリーマンのような首の角度で、ひまわりは下を向いていた。
気づいたら足を止めていた。
わかるよ。
季節の変わり目だもんね。
そりゃそんなに落ち込むよね。
誰かに必要とされたいよ。
あなたがそこにいるだけで元気が出るよって誰かに言ってもらえるのかね?
真っ黒なひまわりにわかってもらえた。
いつも元気で上を向いてて、通りすがる人みんなに明るさを与えるなんて、そんなのは、ずっとできるもんじゃないよ。
そうだね。
「でもきみはそこにいるだけでいいよ。」
とひまわりに言いたい。真っ黒でも下を向いてても、そのままのきみが私を慰めてくれた。
ここにいてくれてありがとひまわり。
ぼーっとして、チャイを作って、散歩して、ひまわりを見て、
誰かからみたら、幸せな一日かもしれない。
未来の自分が思い出したら、いい一日だったって思うかもしれない。
でもこの一日の暗いところも覚えていて。
自分が必要なのか不必要なのかなんかを考えてうずくまった時に、何が「心の支え」になったのか。
今日の支えは夢占い、スパイスの香りとチャイのおいしさ、星野源「生命体」の歌詞と手拍子とアルトソロ、あと太陽と真っ黒のひまわり。
だれも幸せにできなかった日かもしれないけど、
孤独と「心の支え」は未来の自分を必ず支えてくれる。