言葉の温度(コーン茶)
言葉の中には意味があって、
みんなだいたい同じ意味で言葉を使ってて、
それなのに、なぜかあの人とその人じゃ聞こえ方が違う。
あの人が言う「困るなぁ」はどこか優しさと余裕があって、
その人が言う「困るなぁ」は尖ったナイフを目の前に向けられてるような感じがする。
あの人が言う「まあいいや」にはきっとあったかい次があって、
その人が言う「まあいいや」は切り捨てられたような気持ちになる。
言葉の意味は同じ。
でも言葉の温度はぜんぜん違う。
水風呂入る時とあったかいお風呂入る時くらい違う。
生活してると冷たい言葉に何度も傷つけられる。
それは今見てる賢い四角の中でも同じで、
自分に向けられた言葉じゃなくてもやっぱり心が痛くなることはある。
その受け取ってしまった冷たい言葉をどこにも置けず、手がかじかんで、冷たいかも熱いかもわからなくなるまで持ってしまうことがたまにある。
そういう時、静かな時間を共有できる大切な人(または犬など)がそばにいて、傷ついた心を、その冷たくなった手をあっためてくれて、一緒にあったかいコーン茶でも飲めたら。
その時間にあったかい言葉はいらないんじゃないかなと思う。
その時間には冷たい言葉も人を癒すようなあったかい言葉もない。
ただそこに生きてる。
それでいい。
それがいい。
一緒にあったかいコーン茶を飲む人がいなかったら、スマホの電源を切って、身近な木の近くに行って、目を閉じて、大好きな秋の匂いを全身に巡らせるほどのおっきな深呼吸をする。
それでただただそこにいればいい。
言葉で傷ついても、言葉に治してもらう必要はないと思う。
おいしいご飯をたべて、「おいしぃ〜」って満面の笑みで言えば治る時もあるだろうし。
ギターを持ってじゃんじゃかしてれば治る時もあるだろうし。
冷たい言葉はずっと持ってないでいい。
すぐ置いていいよ。
そして言葉から1番遠いところへ行く。
そこで息をすればいい。
やっと息ができたら、
言葉のおもしろさに笑える日を待てば大丈夫。
それでいい。