夫から見た出産⑥(誕生と育児のはじまり)
前回からの続きです。
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最終局面に入った計画無痛分娩。しかしいくら踏ん張れど赤子は出てこず、「緊急帝王切開」というワードが否応なく頭に浮かび始める。
助産師さんたちの叱咤激励も次第に息切れしてきた感があり「これは…何かしらの処置が必要ですね…」という雰囲気が分娩室内に満ちてくる。
助産師さんに「切るのだけは嫌なんですけど、どうにかなりませんか……」と尋ねる妻。助産師さんの返答は「赤ちゃんが危ないようであれば……ネ……」といった感じ。両手のゴム手袋には血が付着している。
助産師さんは続けて大体こんなようなことを語った。
「このまま時間がかかると赤ちゃんに負担がかかって良くないし、自然裂傷はまず避けられません。自然裂傷の傷は治りが遅くて化膿しやすく、予後も悪くなります。つまり、ここで少しだけチョキンとするが一番安全でベストな選択なのです」
これは要するに、お股の部分にハサミで切れ込みを入れて、赤ちゃんの通り道を広げる「会陰切開」を行うということだ。
覚悟を決める時間的余裕は無かった。てきぱき動く助産師さんたちが銀色の鉗子みたいな物やら、ステンレスボウルっぽい容器やら、色々な器具を持ってきたかと思うと、そのまま流れるような迅速さで「はいじゃあ切りますよー」と言い出した。
「え、もう切るの!?」という気持ちが若干あったが、二の足踏んでる時間はないのだ。ええいままよ。
ぱつん、という音が聞こえたような気がしたが、気のせいかもしれなかった。ただ、切った人(医師?)の前掛けとゴム手袋が真っ赤な返り血で染まったのがはっきり見えた。そこから先は早かった。
「はいいきんでー!」という掛け声と合わせて妻が全力でいきむ。助産師さんが手を突っ込む。やがて妻が、驚きと歓喜と何か名状しがたい感情が全部混ざったような声で「ウワァー」と洩らすと、助産師さんが両手で赤子を取り出しているのが見えた。
取り出された赤子は血だらけで、しわくちゃに濡れていた。
へその緒はぷくぷくした白い膜に覆われていて、ソーセージのようだった。頭は妻の産道によって凹んでいて、黒い髪が海藻のようにへばり付いている。思ってたより髪が長かった。産声を上げるより前に目を薄く開き、黒い瞳が分娩室の白い照明を反射していた。
朝に破水し、昼頃に麻酔投入、産まれたのは22時過ぎだった。入院時からおよそ60時間かかった出産だった。
「旦那さんは廊下で待ってて下さいね〜」と言われて、ふらふらの足取りで分娩室を出る。廊下のソファに腰掛けて、あぁ終わった……長かった……と脱力するも、また新たな不安がむくむくと肥大化してくる。産声が聞こえないのだ。
およそ3分くらい? もしかしたら1分程度だったかもしれない。心も体も疲弊して時間感覚が歪んでいた可能性がある。しかし、とにかくこの産声が聞こえない間が本当に恐ろしかった。
何かしらの処置が行われたのか、記憶がないし、そもそも知らされてもないから分からない。
数分経って産声が無事に聞こえてきた時、ようやく少しだけ安堵できて、改めてソファの上で脱力した。
22時過ぎの産科病棟の廊下は薄暗かった。分娩室内で妻が何かの説明を受けている声がする。廊下の奥に、手すりを使ってウォーキングをしている妊婦さんの姿が見える。どこかの陣痛室でアラームが鳴っていて、助産師さんたちがバタバタと走って向かっていくのが見える。
やがて、真っ白い産着に包まれた赤子が、ストレッチャーに乗せられてやって来た。
白くふやけた手首には心拍計バンドが巻かれ、心拍の電子音が絶え間なく響き続けている。バンドから伸びたコードをしゃぶったり、あくびをしたり、こっちを見つめて不思議そうな顔をしたり、なんかもう普通に「人間」だった。こんな人間が、妻のお腹の中に10ヶ月も入っていたとは……。
黒くて切れ長の目はなんとなく自分に似ている気がする。眉毛は薄く細く、薄墨の小筆で描かれた化粧のようだった。爪がしっかりと伸びていたのが驚きだった。
何十分か経った後に、妻と赤子が対面した。
妻は「ようこそ〜」と言って赤子を迎えた。周囲のおめでとう、おめでとう、という言葉に埋もれながら、その中心にいる赤子はひとりキョトンとして、夢の続きを見ているような顔をしていた。
ひとしきり写真を撮った後、助産師さんが「胎盤見ますか?」と聞いてきたので、ふたりで胎盤を見ることにした。
銀色のトレイに置かれたそれは余りにも赤黒くて生々しく、重量感があった。例えるなら巨大なレバーといったところか。ほとんどの哺乳類は胎盤を食べてしまうらしいが(出産後の栄養補給だと聞いたことがある)確かにこの「肉々しい感じ」はいかにも栄養がありそうに思える。写真を何枚か撮ったが、カメラロールで突然この胎盤の画像が出てくると今だにギョッとする。
胎盤鑑賞会が終わった後、助産師さんから明日以降の入院スケジュールの説明を受ける。既に心身共にフラフラだ。しかし出産して大量出血もしてる妻はもっとフラフラなのだ。自分がしっかりせんでどうする。ひとまず渡された予定表を丸ごと写真に撮り、細かい点は後で確認することにする。
気がつくとすでに深夜1時近くになっている。タクシーを呼ぶつもりだったが、この時間帯ならタクシー側が勝手に入口前に待機していると助産師さんに教えてもらった。流石大きな病院は違う。
タクシーの後部座席に座ると、全身の力が抜けてふにゃふにゃになってしまった。
アドレナリンがまだ脳内に残っていたのだろうか、どこか変なテンションになってて、運転手さんに「さっき産まれたんですよ」と言って写真を見せている自分がいた。運転手さんがどんなリアクションをしていたかはよく思い出せない。
帰宅後、Netflixに来てた『ダンジョン飯』の1話を観ながら、義両親が用意してくれた夜食を食べた。
ひとまず終わったのだ。これでひと安心……みたいな気持ちでいっぱいだったが、実際何も終わっちゃいなかった。むしろここからが始まりなのだ。
長時間に及ぶ陣痛、会陰切開、出産、傷の縫合を終えて、妻は満身創痍の極みにあった。出血のせいもあり、病室へ戻り夜食を食べている時は意識が朦朧として、何度も気絶しそうになったという。
妻が夜食を食べ終わったのは深夜2時過ぎ。今後の予定は、なんと朝7時から母子同室。つまりこれは、授乳、沐浴、オムツ替え等の「育児」が、あと4時間ちょっとで始まるということを示していた。
※産院によって方針が違います。産婦を休養させるために、出産直後の母子同室を行わない所も多いです。
これは後に妻と話したことだが、今回入院した大病院は、設備と医療のレベルはやはり高かった一方で、他の産院に見られるような「産後ケア」のようなサービスは薄かった。
おそらく、このような大病院には、通常よりもリスクの高い妊婦さんが集まっているはずだ。ならば、危険な高リスク出産をいかに無事に終わらすかに多くのリソースが注がれているのが自然と思われる。無事に出産を終えた産婦に対して、懇切丁寧な産後サービスをする人的余裕なんてないのかもしれない。
しかし、それにしても、あれだけ壮絶な出産を終えて、あまつさえ切開による大出血もあるというのに、たった4時間ぽっちの睡眠の後に新生児の育児が始まるのだ。
ちなみに新生児の育児は3時間ごとの授乳が必須なので、まとまった睡眠は当分とれなくなる。
ありえんくないか??
さて、ここまで「夫が見た出産」というテーマで書いてきたが、出産はひとまず無事に終わったので、ここで一区切りとしたい。
語り切れなかったことや、取りこぼしたこともあるかもしれないが、また何か思い出したら改めて書こうと思う。
終わった感じが全くない。なぜなら上述の通り「出産が終わる」ことは即ち「育児が始まる」ことを示しており、その育児は現在進行系で今もずっと続いているからだ。
先日、赤子が1歳になった。こっちが泣きたくなるほど元気いっぱいで、妻と私は「怪獣」と呼んで日々可愛がっている。
〈了〉