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【日記】コミティア雑感

先日、コミティアに行ってきた。一人で。

知り合いはいない。一方的に知ってる人ならたくさんいる

今回のCOMITIA150は40周年を記念するアニバーサリーなもので、そのせいか有名な作家さんもかなり多くサークル参加していたようだった。

一番の目当ては『日常』で有名なあらゐけいいち先生の「ヒマラヤイルカ」というサークル。久々の新刊だった。開幕一番に並んだが、購入するまで40分近くかかったと思う。コミティアでここまで並んだのは初めてだ。

私がコミティアの存在を知ったのはあらゐけいいち先生がきっかけだった。コミケではない同人誌即売会があるらしい、オリジナル作品が主体で、ここでしか読めない(買えない)本がたくさんあるらしい、というロマンはオタクの心を動かし、以来度々足を運ぶようになったのだった。

40周年のアニバーサリーということで、これまでのティアズマガジン一覧がパネルで紹介されていた。私が初めて買ったティアズマガジンはこれだった。

コミックマーケットやコミティアは表現者のためのイベントだと思ってるので、買い専の私はいつもうっすら肩身が狭い。まぶしいものを見つめる気持ちになる。

お目当ての作家の本を買った後は会場をそぞろ歩き、気になるものを適当に立ち読みさせてもらう。こういう不意の出会いが一番面白かったりする。Twitter(X)で見たことある漫画を見つけたり、YouTubeで見たことある人が意外な本を出してるのを発見する。

オモコロみくのしんさんや長島社長を生で見た。長島氏に「オモコロ見てます、応援してます」と言うと、少し困ったような顔を浮かべつつ「ありがとうございます」と丁寧に返してくれた。

ネット上で見慣れたエキセントリックな言動からは想像もつかないほどの「社会性」に身じろぎする。二十歳前後の頃だったら、このようなギャップに何かしらのショックを受けたのかもしれない。

消費者に過ぎない私は、コンテンツのフィルターを通した彼らの姿しか知らない。勝手なイメージを膨らませて、そこに勝手な願望を投影したり、勝手な思いを託したりしている。

現実世界を生きる1人の人間として認識せずに、動画の中のキャラクターとしてその人を消費していたことのツケを喰らったのだ。抱いていたキャラクターのイメージと、実際の本人が放つ「社会性」の気圧差にやられたのだと思う。

長机の前で、作者さんが知り合いと笑いながら話し込んでいる。私はその知り合いらしき人の後ろに立って、背後霊のように透明な時間を過ごす。私はちょっとだけ立ち読みしたいだけなのだ。気になる本があるから。2人の話はいつまでたっても終わらず、そのうち、もういいやという気持ちになってしまった私は透明のままそこを立ち去る。

コミケやコミティアに行くと少なからずこうした事態に遭遇する。表現者たちの、可視化された「社交」の輪が目の前にあり、そのサークル(文字通りの意味)の明るさに気疲れしてしまうのだ。

あくまで作品に興味があるだけであって、その輪の中に入れてほしいというわけではないのだ。創作物の素晴らしさはそこに在るはずなのに、それを取り囲む「社交」「社会」のまぶしさで目が潰れる思いをたまにする。

かといって、誰も寄せ付けないような圧倒的孤絶のオーラを放っているサークルも同様に近づき難いものである。本当に身勝手な話だけど。

今回の戦果の一部。事前にチェックしていなかったが、『金魚王国の崩壊』の模造クリスタル先生の新刊に遭遇できたのは僥倖だった。


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