![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100733327/rectangle_large_type_2_8af4a24ea031f6dee0ece13435eb8353.jpeg?width=1200)
読者を意識させる
「それ、誰に読んでもらうの?」
授業で作文指導をする時に忘れてしまいがちなのは、「読者」のことである。「読者」を想定させないと、文章の焦点がぼやけてしまう。
文書には「読者」がいる。「読者」のいない文書といったものは存在しない。そのことを教師は徹底すべきである。読者が教師(=採点者)であるのは授業において避けられないことではあるが、教師が「誰か別の者」に成り代わって読み、採点してもよいではないか。
国語教育におけるいわゆる「国語表現」でもっとも欠けているのが、この「読者」の存在ではないかと思われる。
読書感想文が想定する読者の貧弱なこと。実際に貧弱な読者が読むのかも知れないが。
スピーチやプレゼンテーションを授業に組み入れても、それを聞くのが「友だち」だけであれば、プレゼンテーションの原稿も「読者」(ここでは「聞き手」)を意識しないで作るようになる。
プレゼンテーションで最も重要なことは聞き手について事前によく知ることだ。相手を知ろうとしない者に、相手に何かをわからせることはできない。その点で、クラスの中での練習は、ほんとうの意味での練習にはならない。
「読者」とは誰なのかを徹底的に考えさせることで、書く内容と書く様式が定まる。
「読者」とは誰なのかを考える習慣こそが、自分の中に「他者の目」を作り出すのである。