もんじゃ焼き
「なんか、ずいぶんきれいになったな」
肩を並べて月島の道を歩きながら、大ちゃんがこっちを見るでもなくつぶやいた。
「俺らが来たのは学生の頃だから変わって当然だよ」と僕も不思議な気持ちで周りを見ながら返事した。
「そりゃそうだな」
「ちょっと遅れてるから急ごう」
学生時代からの友人とは働き出してから随分疎遠になったが、この日は、4月からアメリカに転勤になる大ちゃんを囲んでもんじゃ焼きをつつきながら飲むことになっていた。
学生の頃、西荻窪のお好み焼き屋のメニューに"もんじゃ焼き"を見つけて頼んでみたのが僕たちの最初のもんじゃ焼きだったと思う。
「みちお、もんじゃ焼きって知ってるか?」
大ちゃんに聞かれて、
「聞いたことはあるけど、食べた記憶はないなあ」
「俺もだ、頼もうぜ」
大ちゃんは決断が早い。
お姉さんが野菜の入ったアルミの器を持ってきた。
「お好み焼きと同じじゃん」
僕がいうと、
「いや、この小さなヘラがついているところが、」
大ちゃんは凝視して、
「いや、お好み焼きより軟便な感じだ」
と言った。
「おーい、やめろよ」
僕は、そういうのは本当に嫌だった。
大ちゃんがにやにやしながら器を持ち上げて鉄板の上に一気に落とした。
ジャーっという音と共に結構な量が鉄板の穴から下に落ちていった。
ほとんど野菜炒めと化したもんじゃ焼きの、本体ともいうべき汁が、ぷくぷくと泡をたてながら鉄板の上で薄い焦げ色を作っていた。
ヘラでカリカリしながら食べたそれは美味しかったけど、もっと鉄板の真ん中あたりで作るべきだと反省した。
「おい、みちお、俺の斜め前の席見てみろよ」
大ちゃんに言われて見てみると、その男女は、慣れた手つきで野菜だけを鉄板に丸くドーナッツ状に盛っていた。
もんじゃ焼きを作っていることは明らかだった。
興味津々の僕らの目の前で、ドーナッツ状の野菜たちの、その中心に現れている鉄板の上にもんじゃの液体を少しずつ流し込んでいる。
大ちゃんと僕は顔を見合わせて、それから財布の中身を確認すると、
「すいません、もんじゃ焼き」
と追加の注文をした。
新しい食べ物の新しい作り方はワクワクする。
その時のもんじゃは実際にうまかったけど、もし味が無かったとしても「うまい!」と言いながら食べたに違いない。
大ちゃんと僕は高校、大学とラグビー部に所属していた。
部活の仲間は、毎日一緒に練習して一緒に帰るため、いつも一緒にいた。
合宿では共同生活をしていたし、文字通り同じ釜の飯を食べた仲だ。
大ちゃんは中学からラグビーをやっていて、中学では関東で準優勝している強者だった。一方僕は、線が細く大学でも一軍と二軍を行ったり来たりしていた。
大ちゃんと僕は、自称もんじゃのプロを名乗ってラグビー部の仲間と度々もんじゃ焼きを食べに行くようになった。
野菜で作るドーナッツ状の土手の中にもんじゃを流し込んでからは、いつも決壊との戦いである。
外に滲み出てくる液体を小さなヘラで絶えまなく土手の中に戻し続けた。
その程度のプロのため2〜3回行くと同期10人全員がもんじゃのプロを名乗っていた。
「お前らもんじゃ焼きが好きなのか?」
僕たちがもんじゃの焼き方について持論を闘わせていたところに、与平先輩が話しかけてきた。
「はい」
「もんじゃは月島が本場だからな」
与平先輩は得意げに教えてくれた。
たぶん、大ちゃんも他のメンバーもわかっていたのだろうが、僕は"月島"という地名を聞くのが初めてだったため、それが土地の名前なのか店の名前なのかさえ分からずに話を合わせていた。
そんなことがあって、たぶん与平先輩に連れて行ってもらったのだと思う。
僕たちは本場の月島でもんじゃ焼きを食べた。
たくさんの小さな路地のところどころにもんじゃ焼き屋があって、その中の一件に入った。
本場の味がどうだったかは覚えてはいないが、一緒に行った一級上の先輩が「美味(びみ)びみ〜」と言いながら食べていたことと、楽しかったこと、そして何よりも、もんじゃ焼き屋が立ち並ぶ雑な感じの路地を歩いた高揚感は忘れられない。
月島のメインストリートから路地を一本入ると、雑然とした雰囲気の中に店が並んでいて自分の記憶のイメージと合ってうれしくなった。
あ、あった、あの店だ。
スマホの地図を見ながら大ちゃんが指差した店は、路地を含めて学生の頃の記憶と一致する佇まいだった。
「遅れてごめん」
店に入ると、
「おー、遅いぞ」
そう言って、昔と変わらない空気の中でみんなが笑っていた。
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