いとみち

エッセイ、ショートストーリー 読んでもらえると嬉しいです。

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最近の記事

谷中しょうが

普段はJRを使っているので、京王線から歩くのは久しぶりだった。 僕たちがこの街に越してきたのは結婚と同時だったのでもうずいぶん経つ。 夏には大きなお祭りがあり、友人も多くできて親しみを感じているが、その友人の多くが小さい頃からこの街に住んでいるからか、自分たちがこの街を地元と呼ぶには遠慮がある。   「しょうが祭りだって」 妻の言葉に顔を上げると、隣にある小さな公園が賑やかだ。 「しょうが祭」という言葉をなぜか懐かしく思った僕は、「行ってみよう」と言うなり、さっさとそっちの方

    • たぬき

      丸い身体と短い手足でコロコロと走る子犬らしき動物が目の前の道を渡って行った。 犬にしては滑稽な感じがして立ち止まったら、神社の鳥居の斜め前で彼も止まってこちらを振り返った。 たぬきだ、 しばらく目が合った。 少しの間じっと「なんだよ」という顔でこっちを見ていたが、くるりと向きを変えて、また丸い体を振りながら走り去っていった。 平成たぬき合戦ぽんぽこの「どっこい生きている」という言葉を思い出した。 それにしても、「なんだよ」とはなんだよ。 こっちも「なんだよ」と言ってやれば

      • なのはな球場

        -なのはな球場- と僕たちは呼んでいた。 小学校から1Kmくらい離れたその空き地は、地面には踏まれることに慣れている雑草が生えていて、小学生が野球をするには十分な広さがあった。道路を挟んだ反対側には赤い屋根の幼稚園があった。 あの頃は空き地はたくさんあって、誰がつけたのかは知らないが、それぞれに名前がついていた。 今考えると、あの空き地達も誰かの土地だったのだろう。 実家に帰ったついでに車で通ってみると、道は思っていたよりずっと狭くて、自転車の小学生が迷惑そうな顔をしてすれ

        • 健康診断の日

          健康診断の日、バリュウムに気を取られてすっかり忘れていたが、血液採取があった。 「はい、次の人」 注射針と採取し終わった血液の並んだ机に座ったベテランっぽい注射手がこちらを見て促す。 問診票を渡すと、 名前を問われて 「はい」 と答えた。 「右左どちらでも好きな方の腕を出してください」 (注射されるのに好きな方の腕なんかあるものか) 小学生の頃から注射は嫌いだ。 といっても予防注射の日に休んだり泣いたりするような弱っちい奴ではない。 常に平気なふりをしてきた。 いつかきっ

          もんじゃ焼き

          「なんか、ずいぶんきれいになったな」 肩を並べて月島の道を歩きながら、大ちゃんがこっちを見るでもなくつぶやいた。 「俺らが来たのは学生の頃だから変わって当然だよ」と僕も不思議な気持ちで周りを見ながら返事した。 「そりゃそうだな」 「ちょっと遅れてるから急ごう」 学生時代からの友人とは働き出してから随分疎遠になったが、この日は、4月からアメリカに転勤になる大ちゃんを囲んでもんじゃ焼きをつつきながら飲むことになっていた。 学生の頃、西荻窪のお好み焼き屋のメニューに"もんじゃ焼

          もんじゃ焼き

          路地

          歩くスピードが合わない。 前を行く人の背中を見ながら、でもプレッシャーにならないように少し離れて歩いていた。 よく見ると、前のその前の人は小さい子供を二人連れている。 遅いわけだ。 駅から会社までの道のりで、幅1メートルほどの建物に挟まれた斜めに抜けられる路地。 前から来る人とはお互いが、壁や垣根に擦るようにしながらすれ違う。 「ほら、こっちによって」 前から人が来ないことを確認して、二人の子を壁側に寄せて私たちを先に行かせてくれた。 前を歩いている人が子供たちに手を振って

          缶コーヒー

          「全部"COLD"、ついにそうなったか」 僕は10時の休憩時間に1人で缶コーヒーを飲むことが日課になっていた。 あまりお腹がつよくないこともあり、"HOT"を好んで飲んでいるが、気温が暖かくなってくるにつれてホットの領域はコールドに侵略されつつある。 先週からは2台ある販売機の、ホットの微糖は選択肢が3つに減ってしまっていた。 しかし、コールドに比べて明らかにホットの売り切れが早いことから無くなることはないだろうと"たか"を括っていたのだが、 まるでそんな考えは甘いとでも言

          缶コーヒー

          おにぎり

          昼の特急列車の中で、おにぎりを食べていた。おにぎりを美味しいと思った。 窓の外は飛ぶように景色が変わっていく。山間の小さな掘立て小屋。昔は人が住んでいたのだろう。トンネルに入ると真っ暗で、窓に自分の顔が映った。 さっきまではスマホでニュースを読みながら、ただ昼のお腹を満たすために食べていたけど、なぜか急に罪悪感にかられておにぎりに感謝したら窓の外の景色が見えるようになった。 電車の右が山側、左が里側、意識することはなかったが、いつも里側の席に座っていたのだなと思った。

          小説・こぶし

          とにかく自分で決めたことだから、 今やらなければ口先だけになってしまうじゃないか。 「よしっ」、こぶしを小さくにぎりしめて立ち上がった。 学生の頃、学生という世界がほぼ全部を占めていた時期、その中で目一杯個性を出す先輩たちが輝いて見えた。あの人たちは、きっと広がっていく自分の世界を、広がるたびにストレッチしながら、輝き続けるのだろう。 あの人たちが大好きだった。 その中で、自分も後輩から見たら輝いていたのだろうか。 今の自分が嘘つきのように感じられた。 「部長、今日飲み

          小説・こぶし

          小説・黄砂

          NHKのニュースで、今日と明日に黄砂が大量に飛来すると報じていた。 そんなことにはお構いなく、僕らは霊園の芝生に寝転んで、まだ青く澄んだ空を見上げていた。 「なあ、慎ちゃん、結城は今度は本当に帰ってこれるんだろうなあ」 「大丈夫だよ、もうかれこれ100年も中国にいるんだぜ」 「100年もいるわけないだろ」 くだらない返答に少し呆れて、僕は空を見たまま答えた。 「だははっ」 慎ちゃんは指を空中でくるくる回したかと思うと手のひらをぱっと閉じて、 「よくこうやって赤とんぼとったよな

          小説・黄砂