なのはな球場
-なのはな球場- と僕たちは呼んでいた。
小学校から1Kmくらい離れたその空き地は、地面には踏まれることに慣れている雑草が生えていて、小学生が野球をするには十分な広さがあった。道路を挟んだ反対側には赤い屋根の幼稚園があった。
あの頃は空き地はたくさんあって、誰がつけたのかは知らないが、それぞれに名前がついていた。
今考えると、あの空き地達も誰かの土地だったのだろう。
実家に帰ったついでに車で通ってみると、道は思っていたよりずっと狭くて、自転車の小学生が迷惑そうな顔をしてすれ違っていった。
「ああ、ここだ」
家が立ち並び、すっかり変わってしまったその場所を見て、それでも懐かしい風景が頭の中に浮かんできた。
小学生の頃は毎日のように野球をしていた。
「今日はどこにする?」
「なのはな球場だな」
そんな同じやりとりが放課後に飽きもせずに毎日繰り返されていた。
公園というものはなく、僕たちのフィールドはいつも空き地だった。
学校から帰るとランドセルを投げ出してグローブを自転車のカゴに入れ急いだ。
まだ小学校も少なかった時代なので、ずいぶん遠くから通っていた仲間もいた。
とにかく、なのはな球場と呼ばれる雑草の生えた原っぱに、小学生の自転車がガチャガチャとならんで、チーム分けして試合が始まる。
バットは持っている奴がもってきた、ゴロを取るときにエラーをするのは当たり前だったし、得点は地面に棒で書いていった。キャッチャーが大変なのでピッチャーは思いっきり投げると怒られた。
外野にいると飽きて来て、その辺の草を摘んで「スイカの味がする」などと茎をくわえたりしていた。
スイカといっても、赤い部分を食べ終わった後の緑の部分の事だが、それでも、「本当だ、」などと言いながらガシガシかじったりした。
立ち並んだ家を見ながら、あの時の光景と雑草の茎の味が頭の中をよぎる。
「みんなどうしているんだろう」などと呟いてみたが、連想されるものは乏しく、どうやら自分はそこにはあまり興味が無いようだった。
ただ、あの頃みんなで集まって遊んだことだけが、鮮明に蘇っていた。
持っていたスマホに、なのはな球場、と打ち込んでみると、-菜の花球場- と変換された。
ああ、これは違う、
やっぱり -なのはな球場- だ、
風の匂いとみんなの声と茎の味のする生々しい幻を、車を停めてしばらく見ていた。