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積極的分離(人格成長)のあり方はドンブロフスキの時代から変わっている

前回記事で、『積極的分離理論に縛られるな』と伝えましたが、この記事では積極的分離のあり方は、ドンブロフスキの生きていた時代から変わっているということについて書いていきたいと思います。


『死』が現代よりも身近にあったドンブロフスキの時代

ドンブロフスキの提唱する
積極的分離(人格成長)理論においては

第2段階への突入は
『死』すなわち
自分の命が有限であることを自覚すること
がきっかけとされています

日本は災害大国であるため
東日本大震災などの大きな災害をきっかけとして
生きること死ぬことに対して悩む人が発生し
それが人格成長のきっかけになることもあり
深い苦しみに囚われる人も多くいますが

そうは言っても
『戦争』というものが身近にあった
ドンブロフスキの時代と比べて
『生死が脅かされる体験』は
確実に減っていますから

必然的に人格成長のきっかけや過程は
ドンブロフスキが生きた時代とは
別なものになっています

平和な時代の積極的分離(人格成長)

『生死』が身近にない今の時代においては
『生きる目的の喪失』に悩む人が増えています

自分の生きた証を残したい
特別な『何者か』にならなければならない

特に精神性が高い(利他精神が強い)人は
悩みが深くなりがちです

ただ単に『生き抜くこと』でO.K.だった時代から
『何かを成し遂げる』ことを
自らに課す時代になってしまっています

そして『平和な時代での人格成長』とは
周囲の人に共感し 尊重しつつ
その上で何かを成せる・・人になることです

何かを成す必要がある訳ではありませんが
『成せる』人間性の獲得ですね

男性性:あるべき姿を目指す性質
女性性:他者の気持ちを尊重する性質

利他精神の強い人が
幸せになることを目指して
人格成長の段階を進めるには
男性性と女性性をを両立(統合)した状態に
なっていくことを意味します

これは『生きるか死ぬか』で苦しんだ
ドンブロフスキの時代とは異なる

より深い思考に囚われた
別な苦しみが現代社会を覆っているのです

日本人の精神性が高いと言われるのは、他民族に蹂躙された歴史がないから

一旦話題を逸らします
日本人が特別に優れていると
主張をするつもりではありませんが
日本人は精神性(利他精神)が
高いと言われています

これは日本が島国であり
他民族に侵略・蹂躙された経験がなく
世界的にみても平和な時期が長いことが
大きく影響していると思います

平和だとなぜ精神性が高くなるのか?を
マズローの欲求5段階説を引き合いに説明すると

人間の欲求には5段階あり
満たされるごとに次の段階の欲求に
進んでいくとされています

1段階目:生理的欲求
2段階目:安全の欲求

と衣食住を満たし
命の安全を確保することが
最初の欲求ですが

それが満たされると

3段階目:社会的な帰属欲求
4段階目:承認欲求
5段階目:自己実現の欲求

と先ほども書いたように

ただ単に『生き抜くこと』でO.K.だった時代から
『何かを成し遂げる』ことを
自らに課すことになってしまうのです

つまりは平和な時代が長く続いたことによって
生理的な欲求・安全の欲求が満たされ

結果的に3段階目以降の欲求を満たすことに
割くリソース(余裕)があったことで

他国においては「自分の身の安全を確保する」
段階に留まらざるを得ない中で
「集団や共同体のために何ができるのか?」
という利他の意識が育まれる風土に
日本はあったのです

これは日本人が優れているという意味ではなく
地政学的な幸運が重なっただけですし

悪い部分を指摘すると
『同調圧力の強さ』や
『個人の利益追求を悪とみなし
(人の足を引っ張る)スパイト行動を取る人が多い』
といった息苦しさを感じる原因にもなっています

欧米諸国でも平和な時代が続いた時も
あるにはあったでしょうが
他民族に侵略されてしまうと
育った精神性が振り出しに戻ってしまいますから
日本はかなり特殊で恵まれた国なのだと思います

本来は

生理的欲求・安全の欲求が満たされた先はボーナスステージ

なんですよ

『足るを知る』とも言いますが

マズローの言う3段階目以降の欲求
社会的な帰属欲求
承認欲求
自己実現の欲求

を満たさないと幸せになれないかのような
錯覚を抱かせてしまう
今の平和な日本は異常なほど恵まれているのです

僕は常々
『人格成長は必ずしもいいこととは限らない』
と伝えています

利他精神が高い人の中には
他者の救済を目指すよう
プログラムされている人もいますが
それは自己実現の欲求(5段階目)の先の段階であり
その実現には人格成長させる必要があるのですが

そもそも論で言えば
生理的欲求・安全の欲求が満たされているだけで
本来は十分に幸せなことなのです

ほんの50年ほどの前の時代における『救済』とは
肉体的・物理的な意味合いが強いものでしたが

現代日本における『救済』とは
かなり精神世界(スピリチュアル)の領域に
踏み込まざるを得ないものとなっています

これが先ほど書いた

『生きるか死ぬか』で苦しんだ
ドンブロフスキの時代とは異なる
より深い思考に囚われた
別な苦しみが現代社会を覆っている

ということなのです

周囲との比較による
『相対的な幸せ』を満たす
『救済』を目指すことは
幸せの水準が高すぎるがゆえに
非常に苦しいものになります

中学数学を解けたら「天才」と言われる国と
東大数学を解けないと「頭悪い」と言われる国の
どちらが幸せでしょうか?

能力的には後者の方が上なのでしょうけどね、、
『相対的な幸せ』とはそういうものなのです

最後に

精神性(利他精神)が高い人の中には
『他者の救済』=『マズローの5段階目の先』
を実現しようとするよう
プログラムされてしまっている人がいます

その実現には人格成長が必要ではあるのですが
現代日本における『他者の救済』とは
精神世界領域に踏み込んだものになっていて
『幸せ』の偏差値が上がってしまっています

自分の生きた証を残したい
特別な『何者か』にならなければならない

という思考に囚われたり
囚われさせるのではなく

『生理的欲求・安全の欲求が満たされた先はボーナスステージ』

と捉えて
大いなる幸せを掴もうとするのではなく
足るを知り 地に足を付けて
小さな幸せに感謝して
それを積み上げていける人に
皆になってほしいし
そのための助けとなる記事を
書いていきたいな~と思っています

ここまでお読み下さり
ありがとうございました
ではまた!

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St.M
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