私ギフテッドかも、、、と思う若い人たちに伝えたいこと
こんにちは~ 前回記事の続きです。ギフテッド支援からこぼれ落ちるかもしれない若い世代に向けて記事を書きたいと思います。
特別な存在にならなくていい
幼少期に何かしらの能力を発揮し
『特別な存在になりたい』と思って
生きているかもしれません
自分の心を見つめてみて
『なりたい』ではなくて
『ならねばならない』となってしまっていないか
問い直してみてください
もし
『ならねばならない』と思って
自分を苦しめているならば
そうじゃないよと伝えたいです
古代の戦争では
兵士たちが隊列を組み
槍を並べて統率された動きをすることで
強さを発揮しました
そんな中で功を成そうと
『や~や~我こそは!』
と突撃する兵士がいると
陣形が乱れ 全体として弱くなってしまいます
何が言いたいかというと
特別な存在にならなくても
周囲と協力することで
戦に勝てるようになるということです
一騎当千を目指さなくても
成果は挙げられるということです
特別であらねばならない
と自分を追い込まないこと
才能に縛られて生きたりしないでほしいです
ギフテッド支援はビジネスと相性が悪い
先ほどの言葉は
ギフテッド支援ビジネスから
こぼれ落ちる人に向けてのものです
東京大学の中邑賢龍先生は
ギフテッド支援の本質を見抜いていらっしゃいます
今の時代はスコアで学力が測定され
ガチガチに学ぶべきものが定められてしまっていて
『こうあらねば』とう風潮が強くなっていることを
危惧されています
ギフテッド支援ビジネスでは
何かしらの成果を挙げることを
目標に掲げてしまっているように思います
『学び』とは
自分の興味のあることに没頭することが先で
成果は後から付随するものでしかありませんが
成果を出すことを目的としてしまうと
『学び』が矯正され
イノベーションが生まれなくなってしまいます
つまりは
才能は伸ばすものではなく
自発的に伸びるものなのです
日本の教育は
全体の底上げになるという側面では
素晴らしいものですが
そこから外れてしまう人が
許容されづらいという問題を抱えています
それはIQが高いから外れるという意味ではなく
興味関心が偏っていて
発達の凸凹がある子供もこぼれ落ちやすいのです
成果に繋がらない(ように見える)
興味関心を持つ子供の学びを
サポートするという意味では
成果を出せるように才能を伸ばすことを謳う
ギフテッド支援ビジネスは
「支援」にならない可能性をはらんでいます
「非営利」の方が
ギフテッド支援とは相性がいいはずです
課題はあるが社会はいい方向へ進んでいる
僕の勤めている会社でも
「ダイバーシティ推進」が
目標として掲げられるようになりました
多様な考えが共存できることが財産となり
会社の強度が増すということなのでしょう
いろいろな考え方・感じ方をする人がいて
それを尊重していこうという流れは
僕の子供の頃にはなかったことです
ダイバーシティの考えが
社会に浸透していくと
ギフテッドも生きやすくなっていくでしょう
課題はまだあるでしょうが
きっといい方向へ進んでいくと思います
ギフテッドであるかどうかではなく
それぞれの人が互いに尊重し合える社会になれば
多くの人が生きやすくなる、、、
今はその過渡期にあります
最後に
『才能を伸ばす』ギフテッド支援だと
才能に縛られた生き方を
子供に強いることになります
『伸びる才能の芽を摘まない』ことが大事であり
子供の自発性を尊重することが大事だということ
できる支援と言うのは
メンタル面のサポートが主体になりそうです
成果を目的にしないという点では
ビジネスとの相性は悪くなると思います
冒頭で述べたように
突出した才能を発揮しなくても
成果を挙げることは可能であり
才能に縛られずに自由に生きて欲しいです
その一方で
周囲と協調しにくい特性はあったとしても
一人で自由に生きることは難しく
才能だけで食っていける人間になることは
確率的には厳しいです
では『協調』が必要なのかと言うと
そうではありません
相手を否定することなく
自分の考えを伝える能力
難しい言葉を使うことなく
言語化する能力
共感する能力
これらを磨いていけば
自分らしくありながら
周囲に受け入れられるように
なっていきます
周囲に肯定されるようになれば
精神的にも安定していくと思います
ギフテッドに必要な支援とは
才能を伸ばすことではないのです
ギフテッド支援に携わる人や
ギフテッドの家族の方には
このことを理解していただきたいです
ここまでお読み下さり
ありがとうございました
次回は本記事で紹介した
ギフテッドが磨くべき3つのチカラ
について掘り下げてみたいと思います
ではまた!