「氷河期×発達障害」の苦しみと「現代若者×発達障害」の苦しみの違い
こんにちは~ 今日は就職氷河期世代と現代若者世代で発達障害を持っている場合の苦しみの違いを書いてみたいと思います。note内でも自身の発達障害の苦しみについて発信されている人が多くいらっしゃいますが、「世代」による苦しみの違いを書いていきたいと思います。
就職氷河期世代(1993年~2005年卒世代)の苦しんだ理由
について 若者世代はイメージが付かないと思うので説明すると
学校を卒業しても就職先がない状態が長年続き
やむなく非正規雇用で働くしかなかった人であふれた世代です
正社員登用されずに賃金水準も低く
各世代の平均貯蓄額も他の世代よりも低く
経済的にも苦しく結婚をあきらめた人も多くいます
苦しみが長引いた理由は
①氷河期前半はバブルで浮かれている大人を見て育ったため危機感が乏しかった。氷河期後半は危機感を持っていてもどうしようもなかった。
②「学歴があればなんとかなる」という意識
勉強ができれば人生安泰という価値観の崩壊
社会が提示していた努力の方向性が間違っていた
③インターネットの黎明期
情報格差が激しくなった
今のように携帯で調べられる時代ではなかった
非正規雇用低賃金でパソコンが買えないと
「情弱」から抜け出せなくなった
④就職できたとしても仕事がハード
・同期がほぼいない⇒新人の仕事が集中
・雇ってあげているからありがたく思えという風潮
⇒過酷なパワハラ・奴隷労働による酷使
この時代では発達障害を持っていると
仕事での過酷な要求に応えられませんでしたし
高学歴ASDのパターンも
持っている学歴が全く役に立たず
学歴に見合った就職ができずに(プライド的にも)
ひきこもりを選ぶ人も多くいました
この世代の苦しみは
氷河期特有のもの
発達障害によるもの の相乗効果であり
不可分で切り分けできないものになっていて
今の若者世代には
「氷河期特有のもの」がイメージできないため
同じ苦しんでいるとしても
その温度感がかなり違うのではないかと思います
まず
就職が売り手市場になっていること
パワハラNGの会社が増えたこと
賃金水準が改善されていること
など僕らの世代に比べて恵まれている点が多いです
その一方で
現代若者×発達障害の苦しみは氷河期世代とは別物
になっています
それは発達障害の素養を持って生まれたとしても
他者との交流で修正されることが多いのですが
人間関係が希薄になったことで
人との交流が減り
思い込み・親からかけられた呪いの言葉
自責思考などから
抜け出すことが難しくなっています
子育てが家庭内で閉じがちで
一人遊びができてしまいますし
一人っ子の家庭も多いです
仕事においても
高度に専門化してしまっているため
ついていくのがそもそも難しくなっています
マルチタスクをこなす能力も
コミュニケーション力も
備えていて当たり前という社会になっています
がんばってもどうもならない
という閉塞感に満ちていますし
一度でもドロップアウトすると
這い上がるのは厳しい時代ですから
発達障害の程度が低くても
生きづらい世の中になっています
人生を良い方向へ変えていくには努力するしかないが、、、
発達障害者にもグラデーションがあって
『普通に働くのは無理!』と
僕でも思ってしまう重度の人もいますが
『努力しても無駄』と考えて
努力を放棄している人もいますし
『自分の性質を受け入れろ!』
と要求する人もいますから
困ったものですね
僕が足搔くつもりがある人に伝えたいことは
①『人の助けをもらおう』
②『助けてもらえる人になろう』
ということです
まず 人の助けをもらう ためには
自分ができないことを受け入れ
自分ができないことをオープンにする
ことが必要になります
これがプライド的に難しかったり
また競争社会において弱みを見せることが
リスクになる場合があり
勇気が必要になってきますね
ですが 自分の弱みをオープンにして
その上で助けをもらいながら
成長していく姿勢を見せていくと
より多くの助けをもらえるようになります
人間は何かをした結果
いい結果が得られると
その行動が強化されるからですね
助けた結果
助けた人が成長するといういい結果が得られると
もっと助けよう となります
また成長には繋がらなかったとしても
『ありがとう』の言葉をもらえると
もっと助けよう となっていきます
これが『助けてもらえる人になる』
ということですね
僕自身も
自力ではどうにもならないと思える
絶望的な状況でしたが
多くの人の助けがもらえたことで
再起することができましたから
あきらめずに
がんばってほしいと思っています
今回はここまで
ではまた!