積極的分離を経て人格成長するギフテッドが特別な存在と言えるのか?
こんにちは~ ギフテッドは積極的分離と呼ばれる「人格のアップデート」を行ないながら成長していくと言われていますが、人格成長はギフテッドの特権なのかというとそんなことは絶対ありません。この記事では一般的な人格成長論とギフテッドがなぜ人格崩壊(と僕は呼んでいる)を起こしてしまうのかについて書きたいと思います。
人格成長=新しい視座の獲得
一般的な人格成長というのは
レベル1
自分の欲求に従い
他者を自分の欲求を満たすための存在として捉えています
エゴイスティック
世界を自分中心に捉えており
意見の衝突時に自分=正、相手=悪と考えます
ですがこの状態では
人間関係でつまづいてしまうため
新しい視座を獲得する必要がでてきます
レベル2
周囲の人間の考えや気持ちを知り
尊重していこうとする段階になります
これまで自分が正しいと思っていたことが
(周囲から見ると)
間違っていることが多いことに気付きます
自分の気持ち
相手の気持ちの板挟みになり苦しみます
自分にとっても周囲にとっても善となる
価値観を獲得することで乗り越えられますが
そのためには
一緒に乗り越えてくれる
友人・パートナーであったり
すでに乗り越えている人の助けが必要です
レベル3
自分や周囲の人との価値観を尊重できたとしても
次の壁が現れます
それは「社会」というものです
価値観の異なる別の集団との出会いを通して
自分の所属する集団の
社会の中での立ち位置や役割を知ります
自分たちの幸せの追求が
社会全体にとっては
いい結果をもたらさないことに
気付いてしまうと苦しいですね
例を1つ挙げるならば
便利な暮らしの追求が
地球温暖化を引き起こす
発展途上国での貧困をもたらす
といった感じでしょうか?
レベル4
レベル1~3には悩みに対する正解がありませんが
多くの価値観に触れて学んでいくと
「絶対的に正しいことはない」
ということに気付く時がきます
自分のこだわりを捨て
価値観を柔軟に変化させることが
できるようになります
こうあらねばならないと
自分や他者を苦しめることもなくなります
この段階に達すると
幸せを実感できるようになります
レベル5?
ギフテッドは他者の救済活動をするようになる
と言われています
次項で書きますが
ギフテッドはこの人格成長段階を進むのに
凄まじい苦しみを経験するため
レベル4に達すると
自分が幸せになった方法を
他者に伝えていきたくなるのかもしれません
早く新しい視座を獲得することはいいことではない
人格成長段階というのは
目の前に現れる扉のようなもの
です
鍵を持っている人との出会いがあると
スムーズに開けることができたりしますが
扉を開けるには
相応の時間が必要です
目の前に現れる扉が
正しいゴールにつながっているとは
限りませんから
時間をかけているうちに
その扉が間違いであることに
気付くこともできたりします
ですがギフテッドは
扉を開ける能力が高いがゆえに
開けちゃいけない扉を開いて
突き進んでしまう時があるのです
突き進んだ結果
この扉は間違いだったと気付き
ふりだしに戻る
すなわち
人格をぶっ壊して再構成する
といったことになります
これが積極的分離というもので
とてつもない苦痛を伴います
僕も経験しましたが
人格がぶっ壊れて
ここから人生を立て直すのは不可能と自覚し
精神病院に入院しました
新しい視座をいち早く獲得することは
必ずしもいい結果をもたらさないのです
人格成長はギフテッドの特権ではない
ギフテッドは人格成長の段階を進むのに
人格崩壊を乗り越える必要があったりするため
積極的分離を経て人格成長を成し遂げた自分に
選民意識・特権意識を持つ人もいたりします
ですが
ギフテッドでなかったとしても
友人・パートナーとの関係
仕事・社会との関係
親や子供との関係を
より善いものに変えていこうという
意識を持つ人ならば
むしろギフテッドよりもスムーズに
人格成長段階を進むことができます
人格成長はギフテッドの特権ではないのです
最後に
人格成長の段階を進むということは
これまでの価値観を捨て去って
新しい価値観を獲得していくことであり
決して楽な道のりではないですし
あきらめる人も多いのは事実だと思いますが
ギフテッドのみに許された
特権では決してありません
この記事を書いた意図(僕の願い)は
ギフテッドを「特別なもの」として
扱って欲しくないのです
ギフテッドという名称も
あまり好きではありません
(適切な言葉が思い浮かびませんが)
人格成長を経ると幸せになれること
ギフテッドはその道が普通の人に比べて
険しい道になってしまうことが
分かってもらえたらなら嬉しいです
ではまた!
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